人間らしい職場と猿山|理解不能な反応のメカニズムを探る

猿山
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猿山さるやま」と「どうやらせるかが問題になる職場」

長年勤めた業界から離れ、もう戻りたくないと言う人が居りました。

その業界は、変な人ばかりだというのです。その業界の職場一般を観察した結果、みな猿山さるやまの猿だと判ったと話してくれました。

いささ煽情せんじょう的な表現ですが、どういうことかと言えば、猿山のようにボスが決まって居り、各々が自分はその猿山で何番目の位置にいるかを量って行動しているとのこと。

過去記事 ¶ どうやるかが問題となる職場とどうやらせるかが問題になる職場で、職場の二つの等級について触れました。業務の生産性を高める為に、業務の付加価値を高める為に、どうやるかを問題にしたいはずなのに、決めごとをどう守らせ、決めたことをどうやらせるかが問題になってしまう職場の存在について敷衍ふえんしました。

どうやるかが問題になる職場とどうやらせるかが問題になる職場という二類型と「猿山」であるか否かとは相関関係にありそうです。

人の職場

人間らしい職場(以下人の職場)と猿山では、どう違うでしょうか。

使命

人の職場では、仕事に対する使命が価値基準です。

例えば、店舗であれば、開店時間に顧客が気持ちよく、より良いものをより良い状態で購入できるよう努めるなどです。

何かあったら、その価値観に鑑みて判断します。

ですから、店内のポップ表示の間違いに気付いたら、正社員だろうが、契約社員だろうが、派遣社員だろうが、パートタイマーだろうが、アルバイトだろうが、気が付いた人が修正、或は修正を依頼します。更に商品の陳列に何か問題を感じたら、問題提起をします。

これらは職場の使命或いは職務からすれば当然のことです。どうしたら、分かり易い陳列になるか、どうしたら顧客が欲しい商品を見付けやすくなるかなど、誰でも気付いたことを提案します。使命に忠実に仕事に取り組んでいれば、日々の作業の中でも必ず気付きはあるものだからです。

時には、提案が的外れだったり、他により良い選択肢があることも起こるでしょう。

その様な時には、最終的な決裁を、職場の責任者がすれば良いのです。アイデアや意見は誰が出しても良いのです。

つまり、人の職場とは「どうやるかが問題になる職場」であるということです。

どうやるかが問題になる職場

「どうやるかが問題になる職場」では、各々の立場で気付いたこと、感じたことなど意見交換するのは当たり前のことです。

或る人は気付くけれども他の或る人は気付かないことがあります。その逆も然りです。より多くの目で、売り場を観察すれば、より多くの有益な提案が生まれてくるでしょう。

人の職場では、改善提案する者がいても不思議に感じるものは居りませんし、提案者は意欲的或いは積極的などと正当に評価されます。

一方、猿山ではどうでしょうか。

猿山では、ボスか、或は猿山で何番目の位置にいるかが支配的な価値観で、上位者か否かが行動基準になります。

上意下達じょういかたつと言えば多少聞こえも良く感じられるかもしれませんが、下は考えず、指示待ちであることが殆どでしょう。

順序付け

自分の上位者であると感じない相手から何か言われると、仮に横並びであったとしても、

何であんたに言われなきゃなんないの!?

と云った言葉で応酬します。要するに、使命やどうあるべきかといった価値観とは無縁なのです。正しいか正しくないかといった価値判断もありません。猿山のボスや上位者に命令されなければ、自分の感情の赴くままに行動して良いと信じています。

そこには価値観による反応があるのではなく、単に感情、そして力の世界があります。

理性によらない力の世界をもう一つ例示いたしましょう。

舐められないための怒声

或る土木建築系企業の社長の話です。常々私と話す時には、きちんとした丁寧な言葉を話すのに対し、他の人々に向かっては、

てめえぇ~らぁぁぁァ!!!

と云った具合に舌を巻きながら恫喝するかの如く話をしていたので、予てより不思議に思っておりました。

或る時、思い切って、きちんと話ができるのにもかかわらず、社長が舌を巻きながら怒声を上げている理由を訊ねました。

職人たちには、舐められると仕事をしなくなるので、いつも気を張っているのですよ。

という答えが返ってきました。

ここにも力の世界ありました。

職人文化≠猿山文化

ところで職人は、仕事の使命や意義を分かって仕事をしているので、職人文化を猿山のそれと一緒にしてはいけません。しかしながら一方で、秩序のあり方は類似していると言えるのではないでしょうか。

「どうしてあんたに言われなきゃなんないの?」を封じ込める力が必要なのです。

理性的にべき論を説くべき世界ではありません。

反理性

猿山では、職務、仕事の使命は何かとは無縁なので、ボスや上位者の言葉を言葉通りに実現すれば良いと考えています。職務の、仕事の意味が分かっていませんから、指示を十分にしない間違いが頻発します。

普通に考えたら、この場合は、こんな風にはしないだろう。

こんなぼやきが聞かれるのは猿山文化の職場です。

良識とは言わないまでも、常識に照らして判断さえしてくれればと感じる場面が多いのは、猿山の特徴なのです。考えずに作業しているだけなので、応用が利かないのです。

逆切れ

猿山では、理性的な判断や理解は通用しないので、危険なことや秩序を乱すようなことをしないように説明、注意、指摘しても逆切れされることが日常茶飯事です。

普通なら親切に感じられることでも、猿山ではお節介と受け取られます。実際に事故や問題が起きるまで、理解できないのが猿山の世界です。想像力の欠如が著しいものですから、親切を理解できないのです。

どういうことか具体例を挙げましょう。

親切が見えない

扉の前に、壊れやすいモノを置いたとします。親切心で誰かが、そこに置かない方が良いと注意すると、件の「なんであんたに言われなきゃなんないの!?」が飛び出します。

直後、実際に扉が開いて、案の定、モノは壊れそうになります。

すると、「あら、ここには置かない方が良いみたいね。」となります。

当たり前に予見されることすら予見する能力に欠けているため、親切が見えない一例です。

架空のお話と思われるかもしれませんが、実話です。実際に目撃したことを描きました。

どうやらせるかが問題になる職場

猿山では、事故を起こさず、安心、安全に職務に従事させること、職務を全うさせることが課題となります。

その為に一応の決めごとなどはするものの、意味を持つのは、あくまでもボスの目に届く範囲だけです。規範意識などは無いために当然です。

知的なことを肌で感じられない

安全対策などを指導しても、その意義を理解せず、言われたことをやっておけば良いという感覚なので、ボスの目の届かないところでは、必要な安全対策が取られないようになります。

自分たちの身を守る決めごとすら、リアリティを感じられず、守ることができないのです。それは知的にも、感覚的にも、理解できないからです。言われたからやる。やらないと煩いからやるのです。危険を肌で、身に染みて感じないことには、安全対策も厄介ごとの一つに過ぎないのでしょう。

従って、職務の内容に突っ込んで、改善していく余地など無く、現状を維持していくために、どうやらせるかが課題となってしまうのです。

他人事と笑ってはいけない

他人事ひとごとと笑っていてはなりません。あなたは安全対策を常々肌で感じていますか。

歩きスマホはしていませんか。あなたも歩きスマホの危険性も事故に遭うまで分からないのではないですか。

道路にある信号手前にある停止線の意味は分かっていますか。右手から大型車が左折する際に、届かないところに位置取りする為のものです。

もし分かっているのに守っていないのだとすれば、あなたも猿山メンバーの資格は十分にあります。

どうしてですかって!?

歩きスマホなどで注意されたあなたの心情は、恐らくは「どうしてあなたになんか言われなきゃならないの」だろうからです。

親切が見えないで描いた場面と状況が酷似していることにお気づきでしょうか。実際に危険な目に遭わないと分からないから同じだということです。

そう、あなたは既に、猿山へ向かって転落していることに気付くでしょう。