管理職になりたい理由・なりたくない理由

夢見る

「管理職になりたい理由」という言葉でしばしば検索され、しばしば拙ブログを訪問されるようです。

管理職になりたくない人が、なりたい人を見て、疑問に思ってのことなのか・・・

詳細は分かりません。訪問に応える意味も込めて、管理職になりたい動機について考えてみましょう。

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管理職の役割

管理職には、先ず管理の対象が存在します。

しばしば管理の対象は誤解され、あたかも管理対象は人であるかのように錯覚されます。¶ 管理職が上手く機能しない理由|管理の対象は業務であり、人ではない で触れたことですが、管理の対象は業務です。

つまり、管理職の使命は、業務遂行です。業務遂行のために組織を管理し、組織を管理するために組織構成員である人を管理するのです。

ですから、人の管理が上手く行っているのに業務遂行が上手く行かないということはありえません。業務遂行が上手く行かなければ、組織管理、人の管理が上手く行っているとは言えないのです。

人の管理が理想的かどうかは別として、業務が遂行されていれば、管理は及第点と言えるでしょう。

しばしば高圧的な暴君タイプの管理者が容認されるのは、業務が遂行されているからです。一方で、部下から人気のある、人望が厚いとされている上司が、冷や飯を食べることがある理由は・・・もうお分かりですね。

管理職になりたい理由

正当な理由

業務遂行の醍醐味

何故管理職になりたいのか。管理職の役割に鑑みた正当な理由のひとつは、恐らく対象業務の遂行を担いたいからでしょう。

その中には、組織構成員メンバーを統率して、業務を遂行したいも含まれます。また、一構成員1メンバーが担うよりも相対的に大きな仕事を自己の責任下、裁量下に置くことになりますから、大きな仕事をしたいも理由になるでしょう。

業務遂行について発案し実践したいとか、自分の考えで仕事を進めたいも考えられるでしょう。人からの指示で仕事をするのが好きではないというのもあるでしょう。

様々な理由が考えられますが、共通しているのは業務遂行に係るということです。

大きな仕事

他にも正当な理由として考えられることは、人に認められる仕事がしたいであったり、より多くの収入が欲しいでしょう。

既に敷衍ふえんした通り、管理の対象は業務であり、社内外を問わず、複数人の関わる業務であることが一般的です。個人が個別に担う業務よりも大きく、責任もそれに伴って大きいことが一般的だから人から認められやすく、収入も多くなり易いのです。※

※ 勿論、これは傾向であって、個人が個別に担う仕事、ソロプレイの仕事も専門性や特殊性が高かったり、責任が大きかったりすれば、相対的に報酬は大きくなり、絶対額で勝ることもあり得ます。

正当でない理由

正当な理由と敢えて掲題してお話ししたのは、正当でない理由も存在するからです。

管理職の職掌を誤って理解している場合に多くなるのですが、威張ったり、怒鳴ったり、ふんぞり返ったり、人に命令したりするのが好きだという理由で、管理職になりたがることもあるようです。

これが正当な理由で無いとしたのは、管理職というものに対する理解が誤っているからです。

手段としての「怒鳴る」

実際のところ、業務遂行のために、怒鳴ることが有効な場合もあるようです。しかしながら、「怒鳴る」は手段であって、目的ではないのです。

或る土木業の社長は、私と話すときには、穏やかで丁寧な言葉遣いで話すのに、他の従業員などと話すときには、舌を巻きながら、乱暴な言葉遣いで怒鳴っておりました。

穏やかに、しかもきちんとした言葉遣いで話ができるのにもかかわらず、何故、舌を巻きながら怒鳴るのかと聞いたところ、社長の率いる職人たちは、舐めると仕事をしないので、舐められない様に気を張っているからだという答えが返ってきました。

私と話すときに丁寧な言葉遣いであるように、社長は決して怒鳴るのが好きなわけではありません。きちんとTPOをわきまえ、業務を遂行するための手段として怒鳴っているのです。

実際のところ、怒鳴ることで業務が円滑に遂行されているようにも見受けられなかったので、有効性に関しては些か疑問は残りますが、手段として使い分けていたのは確かです。

管理職になりたい理由を見てきましたが、管理職は、なりたくなければならないわけではありません



管理職になりたくない理由

管理職になりたくない理由に入る前に、私事ですが、少し昔話にお付き合いください。

高校受験では、第一志望の高校に入学することができました。県下随一の進学校として知られていた高校だったことから、同級生の1人がこんなことを言っていました。

うちの高校、なんだかんだ言って、入学時は、みな東大医学部を目指しているんだぜ。

こんなことを二十年以上経った今も覚えているのは、強い違和感を覚えたからです。

「僕は目指してないし、目指したことも一度も無い」と頭の中に連呼しました。

当時、私は理学部数学科に行きたかったのです。そして何より、成績順に進路を決めるような硬直的な価値観に嫌悪感を抱きました。

人には能力以前に好みがあり、夢がある。能力は好みや夢を実現するための手段であって、好みや夢を制約するものでは無いはずだ。

要するに、能力や適性に優先して好みや夢が有っていいじゃないかということです。

好きな仕事

何を伝えたいか既に察しがついたかもしれません。

管理職でない、個別の仕事が好きでも構わないということです。

仕事は全力で遂行しなければなりませんが、必要以上に精力を注ぎこむ必要はありません。

例えば、管理職なら100の精力が必要でも、一構成員1メンバーなら70で済むかもしれません。

仕事以外、例えば趣味に価値を見い出すならば、70の精力を100%発揮すれば済む仕事を選びたいとしてもおかしなことではありません。70の仕事ならば、70の精力を100%注ぎ込めば業務は完遂するのです。しかも過不足がないのです。

ですから、仕事全般からの要求水準を抑えたいと考えれば、管理職になりたくないと考えたとしても不思議はありません。

また、管理職に付随する人心掌握などに関する業務が好きではないことも考えられるでしょう。好きでない仕事というものはあっても不思議ではないのです。これは個性に由来します。

管理職になりたくない

管理職にならないことで、失うもの、例えば昇給の機会などはあるでしょう。けれども、逸失利益が問題にならないのなら、他人と同じものを目指さなくても良いのです。

価値観は多様であって然るべきですし、会社基準、仕事基準の価値観や世の中の価値観を守ったり、崇拝しなければならないわけでは無いのです。

いずれにせよ、当時の私は東大医学部では無く、理学部数学科に行きたかったということです。