イエスマンがもたらす悲劇|道理が引っ込まないと無理は通らない

悲劇

誰を或は何を中心に据えて物事を考えるのかによって導き出される結論は変わってきます。

本来ならば、「仕事」、或は「会社」、もっと視野を大きく持って「社会」を中心に置けば、局所的な視野で物事を考えた場合と異なった答えが出てくることは分かるでしょう。

上司が、社長が誤った方向に進むことを望んでいる時、視野を大きく持っていれば諫言もできましょうが、目前の上司、或は社長の歓心を買おうとしていれば、思わぬ落とし穴に嵌り込みかねません。

イエスマンが社長の歓心を買おうとして、まさに落とし穴に嵌ろうとしている場面を紹介しましょう。

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道理が引っ込まなければ、無理は通らない

無理が通れば道理は引っ込む

が真実だとすると、その対偶(たいぐう)の

道理が引っ込まなければ、無理は通らない

も真実となります。

道理が引っ込まず無理が通らなかった話

取引先の要望を無視して作成された提案

耳打ち

約20年勤めた会社を辞めました。

友人の話です。或る中小企業に勤務していました。部門長を任され、会社からの信頼も厚い人物です。

入社当初より、或る上場企業の取引先に出入りしていた彼は、コミュニケーション能力も高かったことから、取引先企業からも信頼を得ておりました。

そんな友人には、公式、非公式を問わず取引先から様々な情報が提供されました。

公式な情報伝達の他に、当然のように非公式な情報がたくさんの耳打ちで、もたらされるのです。

プレゼンテーション

取引先企業から、あるロジスティクス(物流)に関するプロジェクトの計画を提案するように求められていました。

それは、物流の拠点を或る地区に移すので、倉庫移転以降のロジスティクスについて提案して欲しいというものでした。倉庫は既に建設中で、倉庫有りきの提案依頼です。

ところが、友人の勤務する会社は、建設中の取引先倉庫ではなく、稼動率が低く空きが多い自社倉庫を使ったロジスティクスを提案しようとしました。

残念ながら、倉庫は既に建設中であり、自社倉庫の利用を提案するタイミングではないのです。

これでは、取引先企業の依頼に応えようとしていないと言っても過言ではないでしょう。

的外れな提案

倉庫が前提のロジスティクスの提案が求められているのだから、これでは先方の依頼に応えたことにならない。

友人は、このように指摘したのですが、会社側、経営者側は、

自社の倉庫を有効活用することで利益を上げたい。
これが会社の意向なのだから、そう伝えよ。

と回答しました。

挙句の果てには、

あなたは、取引先企業の従業員なのか?
うちの従業員ならば、うちの立場でものを言いなさい。

と言われたと言うのです。

取引先企業の要望をきちんと伝え、それに応える形で提案内容を考えようとしていた友人は、憮然としました。会社の利益を考えるものの、なすすべは有りませんでした。

取引先企業から提示されている条件を満たさない提案をしたところで、採用される見込みはなかったのです。

見当外れの提案を続けるにつけ、取引先から伝わる非公式な情報は、当然に会社にとって不利なものばかりになって行きます。

事実、プロジェクトから外される危機にありました。

出入り禁止

そんな折に、友人の部下が、取引先企業から出入り禁止を申し渡されました。

その理由説明が噴飯ものなのです。

○○(友人の部下の名前)さんは会社の立場で、ものを言っていたから、出入り禁止になった。
△△(友人の名前)さんは、会社の立場でものを言わないから、取引先企業の受けが良い。

会社の為に、会社の立場で物を言ったとして、出入り禁止になり、取引先との接点を失うことが、愛社精神なのかと大いに疑問を心に抱き、友人は会社を去りました。

もちろん、友人の退職理由やその経緯はもっと複雑ですが、詳細に触れる必要はないのでこのように結論付けておきます。

イエスマンの危険

上掲の道理が引っ込まず無理が通らなかった話に登場する「友人の部下(○○さん)」は、所謂「イエスマン」です。

友人の部下は、無理を知ってか知らずか、会社の意向をそのまま伝えようとして、出入り禁止になりました。無理を通そうとしたのです。

瞬間的には、会社の意向を忠実に果たそうとしたものとして、評価されました。会社の立場で物を言ったからです。

しかしこれは非常に危うい評価です。

それは、一度(ひとたび)、経営者が、「果て、待てよ、結果的に取引先を失うことになったら、どうだろうか。」と考え始めたならば、評価は変わってくるはずだからです。

経営者自らの間違いを正してくれる側近が欲しくなるものです。順風満帆な時は、意見する人間よりもイエスマンが可愛いかもしれません。しかしながら、経営者が真摯に結果を求めるならば、イエスマンでは物足りなくなるものです。

ここでも経営者が真摯に結果を求め始めたならば、友人の価値が見直され、その行動が理解されるに違いありません。

イエスマンを侍らせている会社は大同小異

ここで挙げた例は、少し極端な例かもしれませんが、イエスマンを侍らせている(はべらせている)企業では、多かれ少なかれ、同様のことが起こっているのです。

経営者諸氏は、胸に手を当ててよく考えてみてください。