流布される情報の真贋の見極め方|正統的な考え方と振り回される考え方

正統的な方法論
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正統的な考え方と振り回される考え方

何かを始めようとした時、うまく行くやり方にこだわり、それを求めることは悪いことではありません。

求めるものが方法論の場合であれば良いことです。一方で、うまく行くやり方、それが処方箋しょほうせん的なものであるとしたら、問題があります。

具体例を挙げて考えましょう。

株式投資

初めて株式投資をするとしましょう。その際、投資銘柄の選定方法、資金の管理法、投資期間の考え方などの方法論にこだわり、学習するというのであればとても良いことです。

一方、ここで云う処方箋※的な「うまく行くやり方を求める」というのは、株価が上昇しそうな銘柄を聞いてまわるとか、ネットサーフで探してまわるといったことです。

※ 医療では、医師からこの薬を飲めば治るという処方箋をいただいて、素直に服薬することは意味が有ります。

ところが残念ながら、金儲けに関わる分野では、医療分野に於ける医師に相当する、信頼のおける処方箋の出し手は存在し得ません。

それは金儲けでは、処方箋そのものがお金を生み出すものとなることから、処方箋がお金そのものに相当してしまいます。従って、処方箋を出すことは、お金を差し上げることに相当してしまうからです。

つまり、真に有効な金儲けの処方箋が処方できるのならば、自分で実践した方が良いという結論となります。

健康である医師が、疾患した患者に処方箋を出すのと、利害関係の観点から見れば、構造的に全く異なるということです。

ここでは、前者を「正統的な考え方」、後者を「振り回される考え方」と呼んで区別しましょう。

この二つを比較してみます。

正統的な考え方

正統的な考え方では、どちらかというと抽象的で、理論(理屈)が付いてまわります。初めのうちは、突っつき難いかもしれません。また、分かったような気がするものの、いざ実行に移そうとすると、どうしてよいか分からないといったことも起こります。自分で考えなければいけないことが多いからです。そして、その事柄をきちんと理解するのにはそれなりに労力も時間もかかります。

仮に誤った方法論に出会ってしまったとしても、最終的には見極めることが出来ます。それは、物事にきちんと血肉けつにくとなる考え方で取り組んでおり、方法論を精査している過程そのものがかてとなるからです。従って、取り組みそのものに無駄がありません。間違ったとしても、間違ったこと自体が成長の糧になる取り組み方なのです。

そして、方法論が身に付いたときには、その枠組みで、そして更には、それに自分なりの方法論を加えて、自分自身で考え、進めていくことが出来るようになります。

振り回される考え方

振り回される考え方では、具体的に何をすれば良いのか直ぐに分かる気がします。

一見、分かりやすく、うまく行きそうに見えますが、うまく行くことは少ないです。実行に移すのが容易なので、直ぐに行動に移せますが、直ぐに失敗することが多いです。

仮に多少うまく行ったとしても、いずれ頭打ちになり、そこから先には進むことが出来ません。

ビギナーズラック

所謂いわゆるビギナーズラックで一旦は儲かって、その後、大損するのも振り回される考え方にのっとった場合です。しかしながら実際のところ、ビギナーズラックにすらあやかれないことが殆どです。

情報元も損をするまでの一連の流れは分かっていて、商売としている場合も多いのです。カモにする(される)パターンです。

有料投資情報

振り回される考え方の場合、時間が経っても、あまりと言いますか、ほとんど上積みがありません。医師に薬を処方してもらい続けても、決して医学が分かるようにならないのと同様に、処方的な取り組みを続けても、何ら対象物の理解に繋がらないのです。従って、取り組みそのものが損に繋がる考え方と言えます。

余談ですが、拙著で度々引用した相場の世界で有名な林輝太郎先生は、著書の中で、繰り返し敷衍ふえんしていた内容には、言葉こそ違いますが、「振り回される考え方」を排そうと云う意図があったように思います。先生の著書の中では、Leitmotivライトモチーフ(主導動機)の一つとして、反復されているのです。

株式投資に関するお話しはこのくらいにしておきましょう。

聞こえの良いキャッチコピーより耳障りする真実な情報

現代の情報社会では、「つかみ(キャッチ)」の為に、聞こえの良いキャッチコピーが流布しています。

軽佻浮薄けいちょうふはくなキャッチコピーと裏腹に、真実な内容が提供されればよいのですが、「振り回される考え方」に喰いつくのが大勢を占めること、また、この手の情報の方が、底が浅く、誰にでも扱えることからでしょう。商売の種にされていることが多いのです。

情報操作

典型的なのはいとこ取りした口コミ情報や根拠の薄弱なランキング情報です。口コミ情報ではその内容の再現性を、ランキングではその根拠を確認することが常に必要です。

ステルスマーケティング(ステマ)が氾濫している現代では、例えばウェブ情報に多数記載が有るからと言って信用はできません。利害を同じくするものが同じような内容をそこかしこに掲載していたり、ある資本力のあるものが、大量に掲載させているかもしれないからです。

その典型的な例が不幸にも物議を醸しました。DeNAのWELQ・MERYの騒動です。(¶ DeNAのWELQ・MERY騒動とアフィリエイトが嫌われる理由

従って、口コミ情報やランキングの裏付けをとろうとウェブ情報に当たるにしても、きちんとした見極めが必要です。たくさんの人が言及しているということは理由にはならないのです。

正統的な考え方、正当的な方法論にこそ勝機

一方で、「正統的な考え方」に執着し続ければ、最終的には目標に到達でき、また、放っておいても大半は振り回されてくれるわけなので、優位に立ちやすい世の中でもあるということです。

「正統的な考え方」は労力や手間が相当かかり、時間もかかるのですが、雌伏しふくの時を過ごせば、至福の時が待っていると言えます。

ですから正統的な考え方を見極めて実践し、振り回される考え方には拠らないことが大切なのです。

当たり前の結論ですが、情報に振り回されない、方法論に振り回されない為には、個人個人が賢くならなければならないということです。