美味しい店が無くなって行く

美味しい料理
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職人が消えていく

危機感を覚えていることがあります。

今なら辛うじて手に入る良質の食品が手に入らなくなるのではないか、手作業による効率よりも質を求めた仕事の担い手がいなくなっていくのではないかというものです。

手揚げの油揚げ

作り手を身近に感じることの大切さ|価値を届けるという矜持で触れた豆腐職人の矜持きょうじに見られる質に対する自信。手間暇を掛け、最高の価値を送り届けるという仕事が失われていくということに対する危機感です。

手揚げの油揚げを食してみると、その濃厚な油揚げの味わいに驚きます。焼いて葱と鰹節を塗して醤油を掛けて食しても良し。

油をしっかり抜いて、醤油、砂糖、味醂で煮込んで、きつね蕎麦を食せば、工場で生産されたきつねとは明らかに違うのが分かります。きつねは蕎麦汁と喧嘩せずに、汁に溶け込みます。レトルトのきつねでは、他人が蕎麦汁の中に入り込んでしまったような違和感を覚えます。

手揚げの油揚げは、肉厚で、と言っても市販されている手揚げ風の厚みとは全く異なります。栃尾の油揚げを彷彿ほうふつとさせるような、かと言って、栃尾の油揚げではなく、普通の油揚げなのです。その重厚さは是非、実際に食べてみてもらいたいところです。

もどき品に置き換わり品質が低下している現実

良い手仕事のできる職人には長く頑張って欲しい、そして後継者を育てて欲しいのですが、職人仕事では後継者のいないことが大きな問題です。

技術を支えて行くためにも、消費者の立場としては、仕事振りを愛でる心を養わなければなりません。数十円安いという理由で、工業製品を求めれば、質の高い技術は失われていきます。

多少の値段と引き換えに、良品が失われ、もどき品に代わって行くのです。手揚げ油揚げは手揚げ風油揚げに。両者は等価ではありません。

何時までも美味しい油揚げが手に入ることを祈ります。

外食の位置付けが変わった

学生時代には、自分が作る料理より美味しいものを食べさせてくれる店以外では食事をしたくないと豪語していたことがありました。これは自分の料理の腕を誇っていたわけではありません。当時は、やっとこさっとこ自炊していたのですから。

美味しいものを食べるのが外食だった

自分が作る料理より高いお金を取るならば、相応の質が無ければ、お金を払う甲斐が無いという気持ちを表現したものでした。

実際のところ、外食の位置付けは、常日頃の家庭での食事より、美味しいものを食べるという位置付けでした。

現在でも美味しいものを食べられる飲食店はあります。しかし相対的に高くなったのではないでしょうか。

料理の手間を省くのが外食となった

ところが、外食産業はチェーン展開が進み、セントラルキッチンで生産、加工されたものを、店舗で再加工し提供することが主流になりました。店舗には職人は言うに及ばず、熟練さえも然程要求されず、パートやアルバイトが品物が提供できるようになりました。

飲食店は最早もはや料理を提供する場ではない

現在の飲食店の多くは、既に料理を提供する場ではないということです。

多少の加工こそ行うものの、カットされた野菜を水につけたり、調合された粉に付けてフライヤーに放り込んだり、加工された材料に、他の調味料を混ぜるといった具合です。極論すれば、既に味付けの済んだものを温めるなど多少の手を加えるだけなのです。

店舗で食べる即席食品

熟練を要求しない、技術を要さないとはどういうことでしょうか。要するに、家庭でレトルト食品などを食べるのと、変わりないと言うことです。

実際のところ、出汁入り味噌を溶いただけの味噌汁を提供しているような店は、煮干し(炒り子)や削り節(鰹節など)で出汁をとった味噌汁には到底敵いません。きちんと調理している家庭には完全に劣ります。

飲食店(外食)は、美味しいものを食べに行くところではなく、料理の手間を省く為に行くところと理解した方が良さそうです。

美味しいものを食べるならお店を厳選

従来の価値、美味しいものを食べに行くのなら、お店を厳選する必要があります。価格は高くなりがちですが、必ずしも高い店とは限りません。今現在なら、古くからの職人気質で、然程高い金額を取らず良い仕事をしている店も少なからず存在します。

仕事は金儲けではない!でも触れているとおり、「仕事」をしている人の店を探すことです。金儲け主義の店に、良質の仕事、良質な料理は有り得ません。