目一杯の利益を目指す強欲のツケ|猿化する日本社会

野々村竜太郎議員
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軋轢あつれきを避けるための緩衝地帯

緩衝かんしょう緩衝地帯を物理的に設けることで、お互いが直接的に接触することは少なくなり、軋轢あつれきが生まれにくくなります。

自分の土地と隣の土地の間に緩衝地帯※を設け、お互いにそれを挟んで垣根を作った。

緩衝地帯
利害が対立する国家や勢力の衝突を和らげるため、その中間に設けた中立地帯。出典:デジタル大辞泉

緩衝地帯というクッションが挟まると、直接隣接しているのとは異なり、お互いが意図せず不本意に相手を侵害してしまう可能性から守られます。

心理的な緩衝地帯

想像しやすいように物理的なイメージを描きましたが、かつての日本では、これを心理的な部分で行っていました。お互いに気を遣い会うことで、直接的に利害をぶつけ合うことなく、一歩引いた心理的緩衝地帯を設け、お互いに軋轢から守っていました。

そしてこの緩衝地帯に踏み込むことは、それこそ無粋ぶすいなことであり、下品なことであり、卑しいことであり、恥ずかしいことでした。

一部の変わり者は別として、こうしてお互いに付かず離れずの距離を絶妙に保って、人間関係を維持してきたのではないでしょうか。

気遣いという名の緩衝地帯

卑近な例を挙げましょう。

かつてはコンビニエンスストアなどの24時間営業の店舗も無く、日曜日は殆どの家庭ではお休みでした。

従って、日曜日の早朝に家族で出かける際には、

ご近所に御迷惑がかかるから静かにしなさい。

と小声で子供たちを躾けたものです。

世間一般は、未だ睡眠時間であり、それを妨げることははばかられることだったからです。

この気遣いこそが、先の緩衝地帯です。

暗黙のうちに、世間様は睡眠時間であり、無暗に侵してはならないものと理解していました。謂わば地域社会コミュニティでの合意事項コンセンサスなのです。

この緩衝地帯が無ければどうなるでしょうか。

緩衝地帯の消滅

早朝出かける家族は、隣近所にお構いなく、物音を立て、声を上げることでしょう。

お父さん!早く行こうよ!

ああ、ちょっと待ってくれ!

物静かな朝には、普通の声でも大きく響きます。そこへ遠慮もなく話をすれば、隣近所に会話は丸聞こえでしょう。睡眠を妨げられ、目覚めてしまう人も多いことでしょう。

この手の行動を採る人は考え方の根っ子に、自分は自由に振る舞って良く、誰にも干渉される理由はないということがあるのではないでしょうか。

緩衝地帯の破壊

緩衝地帯を形成する根拠として、一つは他人に迷惑を掛けないということがありますが、もう一つは、慣習として半ば規則ルールになっているということがあります。

ところが現代の日本では、この緩衝地帯が、この二つの意味で破壊されつつあります。それは恥知らずが増え、慣習を無視する者が増え続けているからです。

その背景には、先の土地を挟んで垣根を設け緩衝地帯を確保した例で言えば、緩衝地帯までも自分の土地として、権利を行使しようという思惑があるように感じられます。

そもそも緩衝地帯は両者のものであるか、両者のもので無いか、或は共有のものであるかのいずれかであるはずですが、これを我が物にしようという魂胆こんたんです。

猿山化

かつては人に迷惑を掛けたくないという自発的且つ内的な抑制と、慣習として外部からの縛りが働き、それを侵すことは恥ずべきことと受け止められてていたのですが、現代では

何であなたにそんなこと言われなければいけないの!?

という居直りが頻発横行しているのです。

この居直りこそが、緩衝地帯を我が物としようという意志表示です。

職場での事例については ¶ 人間らしい職場と猿山|理解不能な反応のメカニズムを探る で触れていますが、ここに挙げた職場同様に、社会そのものが猿山化しているのです。

意味や意義(といった形而上の価値)にうとい猿山では、倫理観や規範意識といったものが希薄であり、自分を押さえつける、或は、罰する力から逃れること以外は意に介さないのです。

こうして見てくると、最近の不可解な政治家の対応も理解できるでしょう。

一連の不可解な対応

先日判決の下った野々村竜太郎議員に纏わる一連の現象(一連の行動)に潜む行動原理も見えてくるのではないでしょうか。

要するに、猿山の猿にとって、倫理や行動の是非は眼中になく、ただ自分を罰し、縛り付ける法律から如何に逃れ、自分を押さえつける力から自由になることにしか関心がないのです。

事実か否かも野々村議員にとってはどうでも良く如何に有利な結末に落とし込むかが唯一の関心事でしょう。

人を喰ったような

記憶にございません。

の連呼や一連の応対や身振り手振りジェスチャーなどを採ってみても、反省や恥じ入っている印象を受けないのは私だけではないでしょう。

氷山の一角

ただ野村竜太郎議員はあくまでも氷山の一角です。ここでいう「猿」は現代日本では確実に増殖しています。憂うべきは、もはや個々の「猿」についてではなく、社会全体の猿山化なのです。

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