他人のコンテクストを無視する人々

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他者の視点
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失われた他者

新しく人と出会ったとします。

例えば仕事上の関係などで、短時間である程度、距離を縮めておきたい場合があるでしょう。そんな時、それとなく自分のことを話してみるのが有効な手段になることが多いです。

ある程度、腹を割った話をできるようになるためには、相手に質問していくよりも、自分から心を開いて話してみる方が効率が良いことが多いのです。実際に、そうすると自然に相手も口を開いて話をしてくれるということがよくありました。

質問するとなると、聞かれたくないところに触れてしまう可能性もあります。自分のことを話してみるのは、興味があれば、話に乗ってくるだろうし、興味が無ければ、軽く受け流すことができるから、相手にとっては楽なのです。もちろん、興味の無い話題を相手に話し続けるのは苦痛を与えることですからご注意を。

良識のある人の間では、問題が起きにくいアプローチです。

もっとも、相手の興味のある話が探り当てられず、受け流され続けると心理的には辛いので、ある程度忍耐力が必要な方法ではあります。

相手が余りにも話に乗ってこない場合には、今は話をしたくないということかもしれません。

ところが、近頃、このアプローチが上手く行かない場合が散見されるようになりました。

それはなぜなりや

或る時

あなたの個人的な話をされても私には関係ない。

ある程度付き合いがあるならばいざ知らず、出会って間もないあなたの話には興味がない。

こんなことを明言する人が居るわけです。

一瞬自分の耳を疑いました。「えっ、この人の反応は何!?」といった感じです。

悪意に満ちて、このように返答されたのなら話は簡単です。嫌われたと思っていれば間違いない。ところが、悪意も悪びれた様子もなく、その人の見解として淡々と述べられたのです。

この発言には強い違和感を覚えました。なぜならば、出会ったばかりの人は、互いに初めは手探りであり、相手に興味の無いことでも話題にせざるを得ない部分があるからです。

手探り段階では双方に遊びの部分バッファーが必要です。

或る意味、自分に興味がある内容であれば、先のような暴言は吐かないと考えられるので、単に自分の興味を中心に発言しているとしか考えられません。

初めは、その人固有のことかと思っていたのですが、何人か同様の発言・反応をする人を見かけたものですから、特定の個人に由来する現象ではないと考え、非常に不思議な気持ちになりました。

単に受け流しておけば、相手にとっては興味がない話なのだなと感じとって、話題を変えて行きます。わざわざ先のような発言をする必要は無い筈なのです。不用意に軋轢あつれきを生み、間のみぞを深くすることはないのです。いずれにしろお互いに何の利益もありません。

繰り返しになりますが、悪意に満ちていれば、違和感は覚えないでしょう。

「嗚呼、理由は不明だが嫌われているようだ」と理解できるからです。

ところが、他の場面ではアドバイスなど受け、仲良くも仲悪くもない中立的ニュートラルな距離感で先のような発言が為されると、受け止め方が難しいのです。

或ることを切っ掛けにこの理解しがたい現象の説明を試みることができました。

私だけの世界

切っ掛けとは、ウェブ上での書き込みの閲覧です。

2chなどの匿名掲示板は別としても、Facebookフェイスブックによる記名式の掲示板などで見られる現象があります。

或る話題トピックについての書き込みやまた或る人の書き込みに対する書き込みなどが、元の文章を十分に咀嚼そしゃくすることなく、単に思い付きともとられる浅薄なレス(レスポンス:返答)が多々見られることです。匿名による異常性ではなく、個が特定される記名式で、「言いっぱなし」の書き込みが見られるのです。

商品サイトのレビューなども同様です。あまりに一方的な決めつけによる書き込みが氾濫しています。

他者の視点を欠く

どういうことかと言いますと、「一般的に見た」と言いますか、「客観を意識した」視点が欠けているということです。

他者の存在しない「自分だけのコンテクスト文脈・前後関係で生きている人が増殖しているのではないかと疑われます。

良いか悪いかは別として、従来の日本人には他人の目を気にする側面がありました。

これは、客観的視点とは言えないまでも、自分のコンテクストの他に「他人のコンテクスト」の存在を意識すると言うことです。

日本は従来はハイコンテクストの文化でしたから、「他人のコンテクスト」を容易におもんばかることが出来ました。

これがすっかり欠落してしまった人々が増加しているという指摘です。

書きたいことを書いて何が悪いの!?

例えば、amazonのレビューを見ても、入門書に対し、専門書に対するような批判がなされています。

妙なことですが「あまりよく読んでいませんが」と云った枕詞をつけて、読んでもいない本について感想が書いてあります。従来の日本人的感覚なら、きちんと読み終えてから書きますね。

酷い人だと、書籍とは関係なく自説を展開しています。本ではありませんが、発売前に商品レビューがあります。(関連記事 ¶ なぜ場違いな発言をしてしまうのか

全く好き勝手に書き込んでいるという印象を受けます。

読んだ人がどう感じるかとか、一般的にはどう受け取られるだろうかといった視点が欠けているのです。

他者の存在しない世界

これらを引き起こす原因は、自分の意味世界の中だけで完結し、他者の存在を意識していないことではないでしょうか。

この観点から見ると、冒頭に挙げた話のように、関係作りの切っ掛けのために自分についての話題を提供した時、そのコンテクスト(ここでは「意図」)よりも、内容についての自分の興味が優先されていると考えれば頷けるわけです。

偶々たまたま、自分に興味のある話題だったら話に乗ってきた筈です。

あなたの周りでも起こる現象

話が予想外というか完全に想定外に行ってしまう場合は、相手が自分自身のコンテクスト以外のコンテクストの可能性を意識しているかどうかを確認してみると良いのではないでしょうか。

相手が自分自身以外のコンテクストの存在を理解していないとすれば、独我的な認識者なので、対話も難しいと考えるべきでしょう。

要するに他人の存在、他者の存在に対する現実感リアリティへの感性が乏しいのです。一種の人格障害だとも疑われるので、注意が必要です。