グローバル化がもたらす格差|誰がコミュニティの破壊者なのか

グローバル

環太平洋パートナーシップ(TPP)をnaiveナイーブに歓迎している人が少なからずおられるようです。

TPPには自由貿易を隠れみのに国内に経済的蹂躙じゅうりんを招く恐れのある仕掛け※が埋め込まれています。迂闊うかつに合意すれば、国内経済はuntouchableアンタッチャブルになってしまうことでしょう。※ 投資家対国家紛争解決(ISD)条項やラチェット(Ratchet)条項など

仮に埋め込まれた仕掛けが存在しないとしても、自由貿易は必ずしも良いことではありません。気が付いてみたら、今まで気軽に手にしていた愛着のあるものが手に入らなくなるかもしれないということに留意しておく必要があります。

自由貿易を標榜ひょうぼうすることで、埋め込まれた仕掛けから目を逸らさせる意図もあるようですが、隠れみのとしての自由貿易自体が実際には魅力的なものでは無いのです。

自由貿易の負の部分がハッキリ見えない、ピンと来ないという方のために、今回は自由貿易の負の一面に絞ってくだいてお話ししようと思います。

各論に入らずとも自由貿易自体の本質でTPPが大きな問題をはらんでいることが看て取れるでしょう。

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一つの資源を巡って起こること

グローバリゼーションが惹き起こす問題についてお話しします。今回は問題を感覚的にも理解していただきたいので、初めに或る架空の食材を中心に繰り広げられる物語をお話しします。

稀有の漬物

昔、或るところに小さな村がありました。そこでは他所よそでは穫れない稀有けう(架空の野菜名)という特別な野菜が存在しました。例えば泉州の水茄子のようなものと想像してもらえば好いでしょう。

村の文化・誇り

稀有の漬物は格別に美味しく、村で寄り合いがある時は決まってお茶と共に供されていました。日常生活にも溶け込んでいて、朝食時は言うに及ばず、客人が自宅に人が訪ねてきた時のお茶受けには、決まって稀有の漬物が出されました。他所からの客人の受けもよく、村では稀有の漬物を大いに誇りに思ったものです。

つまり、稀有の漬物は村の生活に密着し浸透していました。例えば長野での野沢菜のような存在と想像していただければ良いかもしれません。

稀有の漬物を進物として他の村の人に贈ることがありました。漬物の評判はすこぶる良く、瞬く間に完食してしまったそうです。

商品化・商業化

稀有の評判を聞きつけて商品にしようと考える人が出てきました。元々、村では稀有を各家庭で漬けていたので商品としては売られていなかったのです。ここで初めて稀有の漬物屋が誕生しました。

稀有の漬物の売り出しは上々です。隣村の人々は皆が稀有の漬物の虜になりました。

グローバリゼーションの芽

稀有の漬物の評判があまりにも良いので、隣村だけでなく、その隣の大きな町にも売りに出すことにしました。またしても直ぐに完売され、稀有の漬物の生産が追い付かなくなってきました。

稀有は他所では穫れない特殊な野菜です。この村で栽培するしかありません。どこでも穫れる野菜では無いのです。

お金の誘惑

稀有の漬物は美味で評判が良いことから日に日に愛好者は増えました。稀有の漬物の価格も、徐々に上がって行きました。値上げをしても売れ行きに影響が出ないからです。いやむしろ高くした方が売れるようにさえ思われました。

村人たちも稀有の漬物が高く売れていることを徐々に知るようになりました。稀有を育てる耕作面積は格段に増加しましたが、所詮は小さな村です。収穫量には限りがあります。稀有はとても高く売れるので、収穫された稀有の多くは、自家製の漬物や村に流通するよりも漬物屋に販売されるようになりました。

その頃からでしょうか、徐々に村から稀有の漬物が消え始めたのは。

伝統文化の消失

村の寄り合いでお茶受けに稀有の漬物が出ることは無くなりました。来客をもてなす際でも同様です。朝食時にも稀有の漬物を見かけることは稀になりました。村で自宅で稀有を漬ける機会も、稀有の漬物を口にする機会もすっかり減ってしまいました。


グローバルとは程遠い、村、町という規模での話でしたが、村と町の関係は、閉じられた経済圏を開くという意味に於いて、日本と世界、日本とTPP加盟国に置き換えることができます。

続けて読み進めてください。

需要創造という名の害悪

「稀有の漬物」では、地域特有の野菜「稀有」を想定して話を進めました。限られた収穫量を想像しやすくするためです。

まぐろ

現在では、例えばまぐろに代表されるように漁獲量が問題になっています。

このことは和食文化、特に寿司文化の輸出が惹き起こしたと言っても良いでしょう。つまり商業主義や拝金主義が惹き起こしたと言って良いでしょう。

和食文化を輸出している場合では無い

企業や政府らは、商業主義に乗っかって、自らの懐に現金が舞い込みさえすればよいという価値観です。将来の資源量に対する不安を考えれば、魚介類をふんだんに消費する和食や寿司文化を広めている場合であるはずも無く、自国の食文化を守るためにむしろひっそりと消費するのがまともな考え方ではないでしょうか。

ところが、唯でさえ枯渇気味の資源の消費に更に拍車をかけています。今、自分が儲かれば良いという利己的で刹那せつな的な価値観に見えるのですが、いかがでしょうか。

誤解を招かないよう予め断っておきますと、資源の独り占めを主張するのではありません。元々は需要の無かった処にわざわざ需要を掘り起こし、資源不足を招く愚を指摘したいのです。

資源不足を招く愚

分かり易く言えば、食生活というものは、基本的にはその民族民族が自分たちの生活領域テリトリーの中で調達してきたはずです。そしてその風土に合った方法で食されてきたはずです。

ところが、本来ならば生食で魚を食べる習慣の無かった人々にまで魚を食べさせる一方で、元々魚を食べていた人々が以前のように魚が食べられなくなっているという現実があります。「稀有の漬物」で町で稀有の漬物が消費されるようになり、村人たちが稀有の漬物を消費する機会が減ってしまったのと同様です。

「稀有の漬物」は村の誇りであり続ければよいのです。来客にはもてなし、村では普段使いする。これが基本だと思います。

ところで、鮪はその典型の一つであって、鮪だけではありません。

肉牛

以前に国際結婚の手続きが専門だという司法書士から聞いた話があります。経済動向などで変わることでもあるので、現在については定かではありませんが、興味深い話です。

タイでは牛を育てているけれども普段食べているのは水牛ควายだというのです。その行政書士から聞いたタイの畜産農家の或る人の言葉は、

俺たちも子供に牛肉を食べさせたいよ。だけど高くてなぁ。

だったそうです。ここにも実際に肉牛を育てているところで、牛が食べられない現実があります。

理解したいことは生産者周辺で生産物を享受できないカラクリです。

生産者周辺では生産物を享受できない

世界経済の中で評価される生産物は、生産者が属している相対的に経済力の弱い経済圏の外で価格形成が行われます。すると生産者の属する経済圏では流通しないで、より高額で取引される外に、世界経済に持ちだされます。

格差の芽

ですから、生産者自体はその付加価値による利益を享受できれば問題は無いかもしれませんが、同じ経済圏内の他の人々は、その生産物は高額になり過ぎ、入手することができなくなります。ここに格差の芽があります。

タイの畜産農家の話で言えば、牛を生産することで得べかりし適正利益を得られていない、牛は買い叩かれているという実態まで垣間見えます。

生産者でない人々

「稀有の漬物」で言えば、稀有を栽培している農家(村人)は、稀有の売上で利益がもたらされますし、欲しければ自家栽培の稀有を食することができるでしょう。しかしながら、稀有の栽培に関わっていない村人は直接的には利益が享受できないばかりか、稀有が欲しければ高額で買わざるを得ない状況になります。

運命に翻弄

優勝劣敗になるかと言えば必ずしもそうは言えないでしょう。

一般市民の経済活動は、資本家が経済機会を見い出して参入するのとは異なります。そう簡単に自由にscrap & buildスクラップアンドビルドできるわけではありません。どんな職業に従事していたのかという一つの運命に翻弄される要素が多分にあるのではないでしょうか。

地域社会コミュニティの崩壊

勿論、村の中の人付き合いなどで、安く分けてもらえたりすることはあるでしょう。それは村が旧態依然きゅうたいいぜんとした地域社会コミュニティを維持し続ければ可能でしょうけれども、徐々に商業主義の伝播と共に都会的に変わって行くのが一般的ではないでしょうか。

稀有の漬物で言えば、稀有の生産農家とそうでない人々の間に経済格差が生まれてくるでしょう。それが地域社会コミュニティの崩壊を誘引することは想像に難くないのではないでしょうか。

大きな不確定要素

実際に経済が動き出してみなければ分からない要素も大きいことはここまでの説明でもお分かりいただけると思います。逆に保護主義を徒に目の敵にすることも間違いであることもお分かりいただけたのではないでしょうか。

TPPを敢行することで、取り返しのつかないことにならないとも限りません。それは例えば一度崩壊してしまった地域社会は元に戻せないということも含まれます。

元には戻せない!

現代では、「社会」は大きな意味でも小さな意味でも崩壊の途上です。

Gemeinschaftゲマインシャフト(共同社会)もGesellschaftゲゼルシャフト(利益社会)も・・・

「稀有の漬物」の話では、或る村と町の話をしましたが、本論に入る前にお断りしたように、閉じられた経済圏を開くという意味に於いては、もっと広い意味で捉えることが可能です。

言い換えれば、日本経済を開くということの中に、「村」として描いた中にあった諸要素を見い出して欲しいのです。つまり、「村」と「漬物」として描いた事柄は、単に実体的な地域社会を意味するだけでは無く、ある消費者層とその対象商品という捉え方もできるということです。

「稀有の漬物」では、漬物屋の始まりについては敢えて明確に描写していません。漬物屋の始まりに仕掛け人が居る場合もあるでしょうし、自然発生的に起こるかもしれません。

地域社会コミュニティの破壊者

仕掛け人が居るならば、その仕掛人が結果的には地域社会コミュニティである「村」の破壊者であったということを、しっかりと心に刻み込んでおく必要があるでしょう。自分が地域社会コミュニティの破壊者にならないためにもです。

一方で、自然発生的に漬物屋が起業されたとしても、地域社会が破壊されてしまったのなら何処かで転機があったはずです。地域社会を破壊するだけの原動力を作ってしまう営業方針の転換です。

いずれにしても、地域社会コミュニティの破壊に至る舵取りをしたのは誰なのか、心に留めましょう。

誰が村を崩壊させたのか、その誰かは、いずれきっとおのずとそのつぐないをすることになるでしょうから。無関心でいるのは良くありません。