国会議員と一般女性の妊娠・産休は同一視すべきではない

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こうのとり
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国会議員と一般女性を同列に論じてはいけない

国会議員、正確には衆議院議員の懐妊が問題にされています。

バッシングを女性の権利を踏みにじるもののように、一般の女性就業者らと同一視しているようですが、国会議員と一般女性は異なります。きちんと区別して論じなければなりません。

一般に女性の産前産後休業(産休)を認めないことは、女性の社会進出を妨げるものとの誹りを受けたとしても致し方無いことです。どういうことかと言いますと、或る女性を想定し、彼女がどうすれば会社勤めと出産を両立できるかということは、社会で考えなければならない問題と言えるからです。

仮に18歳から60歳まで就業するとして、どこかで社会として出産の機会を用意しなければ、社会が維持できません。

社会としては、人口動態や出生率などの問題が生じるでしょう。女性の側からすれば、出産を考えていたら就職できないのかということになるでしょう。

従って、社会維持の観点からも、女性の権利保護の観点からも、産休制度の存在は理に適っているのでしょうし、社会の必要コスト※として、一般女性の産休は勘案していかなければならない事象と言えるのです。

※ コストは費用、ロスつまり損失と対になる概念です。念の為。

一方で、国会議員は一般女性とは異なります。

国会議員と一般女性の違い

一般女性の出産

一般女性は、18歳から60歳という想定就業期間のどこか、例外はあるにしても一般には50代に出産する例は少ないでしょうから、40代より前のどこかで出産するのが一般的でしょう。ここで言う想定就業期間内というところが大切です。

就業し定年退職まで勤務することを考えれば、想定就業期間のどこかで出産する必然性が有ります。

国会議員の出産

ところが、国会議員は任期中は職務に専心するという建前で立候補しているはずであり、出産を任期中、つまり想定就業期間中に行う必然性はありません。

そして国民全体の利害に関わる職責があるわけですから、相応の覚悟を持って臨んでもらわなければ困るという当たり前の要求があるはずです。

個の為に全体を犠牲にしてはいけない

全体の為に個を犠牲にすることは避けたいことですが、個の為に全体を犠牲にすることはそれ以上に避けなければならないのです。

旧来は、全体の為に個を犠牲にすることを良しとするという悪しき風潮があったように思います。ところが今日では、それを是正するというよりは、黄金の中庸を突き抜けて更なる悪しき風潮に変容しています。

ここまでの論旨では、或る前提条件があることに気付きます。

出産時期の決定

謂わば「子宝は天からの授かりもの」という価値観とは異なった、人為による、意志による家族計画に基づく避妊を前提とした出産計画の存在です。

つまり出産時期を或る程度自由に、つまり裁量を以って自ずから決定できるという想定です。

出産計画の是非については宗教観などに大きく依存するものであり、簡単に裁定できるものではありません。しかしながら世の趨勢が出産計画の存在を是認している(ように見える)現代社会に於いては、想定就業期間である任期期間中の妊娠・出産は可能な限り避けるべきでしょう。

今回の一件でもう一つ指摘しておきたい一面があります。

合成の誤謬

それは近頃しぱしば見かける誤った形のポリティカルコレクトネス※としての女性の権利を守るです。つまり、妊娠の非難、産休の非難とは、けしからんという短絡です。

※ 誤った形のポリティカルコレクトネスの与える息苦しさは、話題が妊娠、産休に限ったことではなく、或る種の話題に優等生的な回答の方向性が用意されていて、厳密な表現で差異を表現しようにも、ヒステリックな反応が想像されるために口を噤んでしまうという傾向、現象に象徴されます。

二つのコンテクスト

どういうことかと言いますと、ここで問題とする女性議員が国会議員として経験を積むとか、女性の権利として出産するといった妊娠した女性国会議員の利害に関するコンテクストの他に、国会議員として真っ当に職務を遂行すべきだという国民、国家の利害に関するコンテクストがあるはずだということです。

今日の国会議員らが、一般に、まともに責務を果たしているとは思いませんが、正論としては、国家の行く末を預かる※という大義を第一に論じられるべきでしょう。

※ 「預かる」が言い過ぎならば、「関わる」と言い換えましょう。

斟酌の必要

この言葉にピンと来ないとすれば、例えば自分自身が、あなたが産休を取得する、或いはあなたの妻が産休を取得する直属の上司、或いは会社の経営者であると想像してみるといいでしょう。

産休の関係者に与える影響の大きいことは想像に難くないでしょう。中小企業や零細企業であれば尚の事、仮に大企業であっても代役を備え、引き継がせ、復帰させることは、人の遣り繰りを含め簡単なことではありません。

況してや国会議員であれば、その職責の重さは推して知るべしということです。

感謝

ですから、産休が社会として必要なことであるとしても、実際に産休制度を的確に運用するために、様々なお蔭を被っているという認識が必要ではないでしょうか。それは例えば、親は子の養育義務があるからと云って、子が親に感謝する必要がないわけでは無い、多くのお蔭を被っていることを認識すべきであるということと同様と捉えれば解り易いかもしれません。

一昔前ならば「『お蔭を被ったら感謝する』という言わずもがな」ですら指摘する必要性を覚えるのはとても悲しいことです。

一面だけで語ることの不当

近年、跋扈している過剰に権利に焦点を当て、他を斟酌しない価値観・主義主張には強い違和感を覚えます。

正当な主張とは何か

個々の権利が一見尤もなものと思われた場合でも、双方が権利ばかりを主張すれば、どちらも成り立たない現実があることが殆どであることは認識して置く必要があるでしょう。

権利の主張は、全体の利害の調整が前提となって初めて正当なものとなり得ます。自己主張が尤もらしいものでも、他の者が同じことを主張したら整合し無くなるような主張は、正当とは言えないのです。

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