なぜ場違いな発言をしてしまうのか

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コンテクスト

フォローしていたヒビノケイコさんのツイートで注意を引いたものがありました。

自分の主張を述べたいなら、間借りしないことというブログ記事のアナウンスのツイートで、この題がその理由です。

かねてからブログやamazon、yahooニュース記事のコメント欄などで、場をわきまえていないと感じられる書き込みの存在が気になっていたものですから、我が意を得たりと今回は書き始めた次第です。

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自説を述べる環境コンテクストは自分で作る

近頃の傾向として、場を意識できない人が増えたように感じられます。嫌な表現ではありますが、一頃ひところ流行はやったKYケーワイ(空気が読めない)は、場が意識できないことを示した言葉の一つと言えるでしょう。

SNSやブログのコメント欄に、ブログ主と同じくらいの勢いで自分の主張を、もりっもりに書いちゃう現象。

他の講師の方の講座に行ったら、「講師の方よりも自分の主張を長々と声高に述べる人」に、出会ったことがある。

[出典:ヒビノケイコの日々。人生は自分でデザインする。(改行は適宜省略)]

といった現象は、まさしくKYケーワイな人々を目撃したという証言であるわけです。

場を読まない過度の自己表現はウェブ上の現象であるととらえておりましたが、実社会リアルでも見られる現象なのですね。改めて言われて見ると見かけたことが有るような気がします。

いずれも現象というからには、その本質について迫りたいと思います。

Kontextコンテクスト

場という言葉をつかいましたが、意味の世界に焦点を合わせるとKontextコンテクストと表現した方が分かり易いかもしれません。Kontextコンテクストは「文脈」の他に、「前後関係」、「背景」、「周辺事情」と訳される言葉です。

簡単に言うと、今、置かれている状況下での意味に於ける位置付けです。ここまでの「コンテクスト」は、置かれている状況の総体として遣っていますが、一般に多重的なものです。

例を挙げて簡単に説明します。

コンテクストの多重性

小さな町工場まちこうばを想像してください。創業者は息子に社長職を譲り、会長職にいています。この時、社長である息子が社員一般に語りかける場合、様々なコンテクストを意識しなければなりません。

コンテクスト

創業者でもあり元社長でもある会長の子息しそくとしてのコンテクスト、現社長としてのコンテクスト、更に、例えば古参社員とのこれまでの関係でのコンテクストなどなど、踏まえなければならない意味関係は幾重にも重なって構成されています。言い換えると、特定の、つまりくだんの社長のコンテクストと大括りで捉えているものは、複数のコンテクストから成り立っているのです。この複数のコンテクストは、コンテクスト※とでも呼びましょうか。

※ 敢えて子コンテクストと呼ばなくても分かるところではありますが、コンテクストの多層性と論旨が明確になるように、子コンテクストという言葉を用いることにします。

見出しは同じでも中身は違う

コンテクストの一つ、「創業者の息子として社長になった」も、単に創業者の息子として社長になったという文字通りの意味だけではありません。これまでの関係性により同じ文字で表現される関係にあったとしてもコンテクストは変わってくるのです。

例えば、古参社員との関係も、幼い頃から出入りしていて可愛がってもらっていたといった関係があるのと、単に入社後に初めて顔を見たという関係があるのとではコンテクストは違います。

その典型的な表現が、例えば

あの坊ちゃん(お嬢ちゃん)が・・・人は変わるものだ。

このような言葉を発することが有り得るのも、幼い頃から出入りしていて可愛がってもらっていたという過去の歴史が背景にあるからです。

成人してから、初めて出会ったのであれば、出てこない言葉です。

この違いが生じるのはコンテクストからです。

子コンテクストの網羅は容易ではない

分りやすいように人間関係に纏わる部分だけに焦点を当てましたが、他にも地域社会の中での位置付けや取引先との位置付け、技術力の水準、町工場への評価など、コンテクストを規定しているものは、簡単には意識できないものもあり幾重にも重なっています。

これらのうち必要なものをきちんと押さえて踏まえることができれば、場に合った違和感を持たれにくい発言が可能になります。

違和感の源泉

発言の内容がもっともなことでも時として違和感を覚えさせられるのは、明確に識別できるかどうかは別として、コンテクストに合っていない、何らかの子コンテクストに合っていないことに起因することが多いと言えるでしょう。

潜在的な子コンテクストを把握するのは困難が伴います。存在する子コンテクストが網羅できれば良いのですが、至難の業でしょう。

コンテクストを的確に把握する能力は、コミュニケーション能力の大きな部分を占めます。

おざなりにされた子コンテクスト

例えば、先の例で言えば、父親との関係を蔑ろにした発言をすれば、「おいおい、社長かもしれないけれど、父親の立場を考えろよ」と反発されたりするのは、社長であるというコンテクストからの言葉であっても、父と子というコンテクストを無視した言葉だからということです。

理由は言葉にされないまでも、

あいつは分かっちゃいねえ

と表現される時、コンテクストを押さえずに発言していることが少なく無いのではないでしょうか。何らかの子コンテクストがおざなりに扱われているということです。

論理的に正しく、言葉上は相手も納得しているのにもかかわらず、受け入れられない時には、妨げとなっている子コンテクストが無いかを探り、解消することが、受け入れてもらう第一歩です。

場をわきまえない発言・書き込みが為される理由

ここまで¶ Kontextコンテクスト※の話をしてきたので、場をわきまえない発言・書き込みが為される理由をコンテクストを認識していない、理解していないことが主因であることはお分かりいただけると思います。

冒頭で触れたヒビノケイコさんは、記事の後半で

そして、自分の主張や見解をしっかりと述べるには、相応のリスクと責任も持って、「自分の場を開く」ということがセット。

[出典:ヒビノケイコの日々。人生は自分でデザインする。(改行は適宜省略)]

と締めています。(そのあとに「さいごに」として提言があります。)

コンテクストを創り出す

これまで述べてきた話に引きつけて続けると、彼女が言いたいのは、自説を展開できるようなコンテクストにある場は、おおやけには存在しないから、みずから自分の場を開きなさいであると理解することができます。

そして追加説明しますと、ヒビノケイコさんなら寄稿依頼もあるでしょうから、自分の場を開いてもらえることもあるでしょう。

これも一つのコンテクストです。「『あなたの話が聴きたい・読みたい』と言ってもらえる」というコンテクストです。

コンテクストを理解せず、公共の場や他人のブログを荒らしている人は、一般に他者から持ってはもらえない感情です。むしろ「あなたの話なんか聞きたくないよ」と思われることが多いでしょう。コンテクストに合わない発言や書きこみをしているということは、常日頃から同様の場違いな発言をしていることを暗示します。

ヒビノケイコさんは優しい表現で、おお、こんな感じで書いちゃうのかと記しておられますが、論旨からしても不快感を覚えておられることは間違いないでしょう。一般ならもっと厳しい表現を採られることでしょう。

コンテクストは在るものですが、創るものでもあります。その手始めが自分の土俵を作るということでもあるのです。

潜在するコンテクストの認識は容易ではない

コンテクストというのは曲者くせもので、存在が意識されない、認知できないこともしばしばあります。また、不注意で見落としてしまうことも多いです。特に新しいメディアに接したばかりだと、その傾向が顕著になります。

以前にツイッターでフォローしている人の発言が不謹慎に感じられてツイートしたことがありました。

文面は定かではないのですが、続いてその方が、

ツイートは断片的に捉えられてしまいがちだから、流れを踏まえないで読んだ人が誤解してしまうから怖いよね

といった内容のツイートが入り、赤面し軽率だったと反省したことがありました。

コンテクストを理解しないと見当違いな発言や場違いな発言をしてしまうという実例です。

場違いな発言は慎みたいものです。


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