あなたもモンスタークレーマーに!?|コンテクストを意識しない人々

モンスタークレーマー

あなたがモンスタークレーマーになることはないでしょうか?

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クレームは有って当然、悪いものではない

ビジネスをする以上、クレームが発生することは止むを得ません。

もし仮にクレームが全くないとすれば、誤りミスが全く起こらないか、顧客に全くそっぽを向かれ、フィードバックが無いかのいずれかです。

いずれにしても有り得ないことです。

長くビジネスを行っていれば、クレームが発生することは当然のことですし、クレーム自体があること自体は、必ずしも悪いことではありません。

しかしながら、モンスタークレーマーについて言えば、話は別です。

不当な要求を突き付けてくるモンスタークレーマーは、一種の社会的現象であり、社会悪です。

穏やかなモンスタークレーマー

日本経済新聞の記事 ¶ 「お客様は神様」じゃない 猛威振るう反社会的消費者 の中の「上司気取り…一切怒鳴らない新種クレーマー」という小見出しで、或る健康器具メーカーでの例が紹介されていました。

この記事の中で、購入した血圧計が一月後ひとつきごに故障し、60代後半の男性から掛かってきた電話での遣り取りが描かれています。

商品を交換すると、

商品は受け取りました。では次に、なぜ不良品が発生したのか原因を特定し、報告書を提出してください。

と電話がかかって来て、

そんな品質管理はあり得ない。

検査工程にこうした課題があるのではないか。

次は、今後の対策をまとめていきましょう。

こんな発言をされたらしいのです。

この男性は、大手メーカーで品質保証部門の責任者を務めた経歴が有ったとのことです。

この健康機器メーカーの社内では、「上司気取り型クレーム」「昔取ったきねづか型クレーム」と呼ばれており、高齢者によるこのような「穏やかなクレーム」が警戒されていると紹介されています。

この男性もモンスタークレーマーです。

血圧計購入という商取引から逸脱した要求をしています。

今回の主題は、実は、モンスタークレーマーではありません。

このモンスタークレーマーに垣間見える病理についてです。

近頃、増殖していると感じられる現象についてお話ししたいと思います。

あなた、どこのだれさま?

この男性がおかしいところは、自分の立ち位置が全く意識されていないということです。

単なる1消費者、1ユーザーでありながら、品質管理にまで口をだし、報告まで求めようとしています。

この男性は、自分をどのような立場の人間として捉えているのでしょうか。

報告を求めるということは、指揮命令系統レポートラインに属していることを暗に示します。

あなたは何処の誰様(どこのだれさま)!?

と反問されてもおかしくない局面※です。

※ 実際のところ、精神疾患すら疑われます。現実との接点を失っていることすら窺われるからです。

ウェブサイトのレビューに見られるどこの誰様

同じことは、インターネット上のレビューなどでも見られます。

どの立場、どのような立ち位置かが不明確な内容が多く見受けられるのです。

分かりやすい例を挙げますと、アマゾン(Amazon)などに見られる書籍レビューです。

初心者向きの或る分野の入門書について、アマゾンのウェブページで、★(星)を1つか2つを付けて、単に、内容が薄いとか、新しく感じられる内容が無い、などと頭ごなしに酷評したレビューが散見されます。

レビュー主のその分野における精通度合いや水準を明確にしなければ、書き込み自体が意味を持ちません。

初心者でも買うに値しないと判断できるほど内容が薄いのか、精通した人には物足りない内容なのかはっきりしない※からです。

※ 論調や文体が稚拙、或いは粗雑で、様々な背景に鑑みた見識だとは到底思われないということです。

その分野に精通した人が読めば、当然に内容は薄く、新しく感じられる内容はないでしょう。

ここでも「この人は何処の誰様なの?」とレビュー主に対して疑問が生じます。

結局のところ、レビュー自体が、本を題名だけ見て取り寄せ、自分の水準に合わなかった腹癒はらいせに書いているとしか思えなくなります。

コンテクストを意識しない人々

言葉を発する場合、常にコンテクスト(文脈、前後関係、背景、状況、脈絡)を意識しなければなりません。

あなたは何処の誰様なの!?

と言われるのは、コンテクストから逸脱した言葉を発したり、態度を取った場合です。

嫌いな言葉ですが、一時期流行った「KYケーワイ(空気を読めない)」もコンテクストを意識しない言動が取られた場合に使われる表現です。

コンテクストを意識しない人が多くなっているという現実があるのではないでしょうか。

自分だけの世界に閉じこもると、コンテクストの、特に他者との関係における部分は意識されなくなります。

「コンテクストの『他者との関係における部分』を意識する力」を失うということは、社会性を失うということで、一種の精神疾患や障害と云えるでしょう。

コンテクストの他者との関係における部分を意識しない人々が増えたという社会的現象は、憂うべきものだと思います。

人は皆、社会的動物なのです。


以下追記(2016年1月22日)

歩きスマホ

近年、問題になっている歩きスマホ(歩きながらのスマートフォン操作)も同様です。

今、自分がどこにいるのか、そして他者の存在を意識できれば、当然に衝突や事故の危険があるわけで、歩きスマホなどできる筈がありません。近頃の歩きスマホは、見ていてハラハラするほどに酷いのです。前を確認することも無く、スマホを覗き込みながら、ずっと歩き続けています。白杖はくじょうを持った方が現れたらどうするのでしょうか。体の弱い方にぶつかったらどうするのでしょうか。

これもコンテクストを意識する能力の欠如と看做すことができるでしょう。

電車の中で化粧をすると云った破廉恥を示すマナー違反とは一線を画しています。それは、明らかに危険性を伴うものであり、誰かを傷つける可能性すらあるからです。

かつて仮想現実ヴァーチャルリアリティーという言葉が持て囃された時代が有りましたが、それと同様に、現実世界のコンテクストから切り離された仮想世界である独我空間の住人となっていると言えるでしょう。