他人の言葉の受け取り方|人は軽口を叩くもの

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芽を摘む

あなたが何かしようとすると、

やめておいた方がいいよ。

と口にする人がいるでしょう。あなたのことをよく知り、あなたがやろうとしていることに精通している人であれば、聞く耳を立てた方が良いかもしれません。

ところが残念ながら、感情に任せて言っているだけのことが多いのではないでしょうか。

一般論なのか、世間の見方なのか、単なる思い込みなのか定かではありませんが、余計なお世話であることが殆どなのです。

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人は軽口を叩くもの

難しいことや衰退していることに取り組もうとすると、しばしば横槍が入ります。

それは「やめておいた方がいいよ」の決まり文句です。やろうと決めた当の本人が考えに考えて出した結論に対して、あまりに簡単に口にするのを見かけます。その軽率さには、驚きを禁じ得ません。

具体例の方が分かり易いかもしれません。

「法律の学習」と「転職」

法律を学ぼうと決心した人に向かって、「法律はなまじっか齧ると大怪我をするよ」と云った言があります。

他にも、転職。今が最後の機会とばかりに、転職を決意すると「年齢的に厳しいんじゃない」などと転職を諫めようとするかのごとき言です。

いずれも不用意に発するのは、失礼な物言いに感じるのですが、如何でしょうか。

発言の前提

法律で言えば、相手の能力や真剣さ、学習に当てられる時間や学習環境を把握できなければ、法律を学ぶことが有意義なものになるか、中途半端に終わるかは、判然としません。況してや「なまじっか齧ると」などと云う言い方は人を愚弄する表現とも言えるでしょう。でも簡単に口にしてしまうのですね。

転職も同様です。相手の能力、人脈、将来の方向性、将来の夢などが把握できて初めて言えることです。それに、僥倖を一つ見つけて物にすれば良いと割り切って、思い切ることもあり得るでしょう。価値観によっても変わってきます。あなたがカネより時間と思っているのに、発言者は、時間よりカネなのかもしれません。

相手の将来に責任を持てない他人が軽々しく口にすることではありません。でも簡単に口にする人が多いのです。

当たり前に反して頻発する現象

ところで、このように客観的にお話すると、あまりに尤もで、「なまじっか齧ると」とか「年齢的に厳しいんじゃない」と簡単に口にする人々は、知的に問題がある、或いはあまり悧巧では無い※と思うかもしれませんが、意外にそうでもないのです。

※ 歯に衣着せぬ言い方をすれば、「馬鹿じゃないか」と思われるということです。

煩わしい説明

法律を学ぶ決心をした理由や経緯、転職を決心した理由や経緯をきちんと説明すると、納得してくれる人もいるのです。納得してもらうことに意味がある相手なら、納得できるよう説明することに意義を見い出せるでしょうけれども、意義を見い出せない相手も少なからず居ることでしょう。

いずれにしても煩わしいことです。

不用意に方針が変わらなければ良いが

ところで、法律にしても、転職にしても、決意、決心ができたことを前提にお話しました。

あなたの決意や決心が固ければ、外野の煩わしさに惑わされることなく、舵を執ることができるでしょう。

問題は、あなたの決意や決心がぐらついている時です。感情に振り回され、外野の言葉に振り回され、あなたが真に望む選択肢を選び取れない可能性が生じます。

何を当たり前のことをと思うかもしれませんが、相手がどんな人であれ、軽口を叩いている自覚無しに、軽口を叩くものだと強く認識しておくことの重要性を指摘したいのです。

先の法律の学習を例に採れば、例えば誰かの法律の学習について、生兵法は大怪我のもとと云う過去の言が頭に有れば、(伝聞とは言わないで)自分の言葉であるかのように、思慮なく口にすることがあると云うことです。

忠告は排除しない

単に軽々しく云ったのか、あなたのことをよく知り、法律の学習についても一家言あるような人であるのか判断がつかないならば、あなたは、きちんと相手の言葉の真意を問いただすべきでしょう。それは、あなたをどのような人か見抜いていて、適性の面などから忠告してくれているという可能性を排除しない為です。

軽口を叩いたのであれば、相手はバツが悪くなったり、生返事を返したりするでしょう。その場合には、相手の言葉に意味はなかった(ない)と理解し、あなたの決意、決断をそのまま維持すれば良いということです。勿論、反省の切っ掛けにしても良いでしょう。

あなたの知らない一面が相手に存在することを認識する

ところが、例えば相手が、法律の専門家で、あなたとのやり取りから、到底習得できないと判断していたのだとすれば、専門家の意見として、再考する余地があるかもしれません。

軽口無しは不可能

いつも誠実な言葉を発することができれば、斟酌は必要ないのですが、人とは軽口を叩くものなのです。

このように理解しておけば、必要な忠告に耳を貸すことも、軽口に惑わされないこともできるということです。

些細な言葉からも決心が揺らぐことはある

他人の言葉の受け取り方」を些か仰々しく論じたのは、大きな決断も言葉一つで変わってしまうことがあるからです。

相手が全力であなたを諫めているわけでも無く、ふと何の気なしに口にしただけである言葉が、あなたにとって重大な影響を及ぼすとしたら、如何でしょう。

言葉を重み通りに受け取る術を持ちたいと思わないでしょうか。

その為には、先ず、人は軽口を叩くものと認識し、常にその真意を意識することが大切です。気にならないどうでも良い言葉なら、その限りではありません。