「風評被害」という言葉のもつ怪しさ

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風評
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「風評被害」

かねてより違和感を覚えている言葉があります。それは事実を封じ込める効果を持った強い言葉「風評被害」です。

なぜ事実を封じ込める効果を持つと感じるかと言いますと、最近では、命題の真偽よりも、その命題が持つ波及効果に重点が置かれた使い方がされていると感じられるからです。

今回、なぜこの話題に触れようと思ったかと言いますと、週刊誌「ビッグコミックスピリッツ」掲載の漫画「美味おいしんぼ」(雁屋哲作・花咲アキラ画)で「福島での鼻血」の表現を巡って問題が表面化したからです。

あらかじめお断りしておきますと、本記事の目的は、「『美味しんぼ』問題」の是非を問うことではなく、これまで疑念をもって見てきた「風評被害」という言葉に対する疑問を提示することなどです。

「風評被害」という仮面を被った害悪

事実の申し立て

漫画の内容は、主人公である新聞社の文化部記者の山岡士郎らが取材のために福島第1原発を見学。東京に戻った後に疲労感を訴えて鼻血を出し、井戸川克隆・前福島県双葉町長も「私も出る」「福島では同じ症状の人が大勢いる。言わないだけ」などと発言している。

一方で、山岡を診察した医師が「福島の放射線とこの鼻血とは関連づける医学的知見がありません」と答える場面もある。

というのが事の起こりです。

あくまでも取材に基づいて福島で起きている事実を現象として描写しています。

そして、物議ぶつぎかもした証言について、

井戸川氏は28日の毎日新聞の取材に「雁屋さんから取材されて答えたことがそのまま描かれている。(描写や吹き出しの文章は)本当のことで、それ以上のコメントはない」と話した。

毎日新聞(2014年5月4日)[以上までの引用]

とあります。更に、

作品に実名で登場した前福島県双葉町長の井戸川克隆さん(67)が9日、東京都内で記者会見し、「実際、鼻血が出る人の話を多く聞いている。私自身、毎日鼻血が出て、特に朝がひどい。発言の撤回はありえない」と述べた。

毎日新聞(2014年5月10日)

とあります。

鼻血の話が事実として存在するのであれば、それは風評被害の種にはなりえません。それは事実だからです。

風評被害の名のもとでの事実隠滅の試み

不都合な事実が出てきた時、風評被害の問題にすりかえ、その事実そのものを消し去ろうとしているように思われます。そして風評被害ではないのに風評被害として扱い、風評被害として語っていると感じられます。

ですから、被曝ひばくとの因果関係の有無云々うんぬんの前に、起こっている現象、ここでは鼻血、を事実として受け止めることが求められます。

そして、鼻血が出るという現象について、事実を踏まえた上で、

◇被ばくと関連ない−−日本大歯学部の野口邦和准教授(放射線防護学)の話

◇ストレスが影響も−−立命館大の安斎育郎名誉教授(放射線防護学)の話

毎日新聞(2014年4月29日)

といった話を聞くことは健全だと言えます。

ヒステリー

鼻血の描写に関して、その事実の存在を受けとめるのではなく、雁屋氏や小学館に対する抗議や石原環境相の発言は、ある種ヒステリーのようにすら受け取られます。事実として存在する現象に対し、あたかも無いかのごとく取り扱えと圧力をかけているように見受けられるからです。

科学知は常に暫定ざんてい的なものであり真理と証明されることは無い

そして、科学は万能ではありません。科学というものはその性格上、真理へは到達できないものです。仮説→実証→仮説→実証のサイクルからは抜け出られないものであり、結論がひっくり返る可能性は常に秘めています。現代の科学のすいを尽くしても新しい要素が加わるなどして結論が変わることはあるわけです。

仕組みやメカニズムを解析し、結論付けていく行為そのものは大切です。しかしながら一方では、すべてを解明することは不可能であることを認め謙虚に、起こっている現象をありのままに描写し、述べ伝えるということも大切なのです。

「科学的安全」が100%安全を意味すること無い

個人的には、科学的に安全であると言われても、そのすべてを真実として受け入れることはありません。既にご説明しました通り、科学は常に幾ばくかの疑問点が残るものだからです。ですから、「安全なんだから食え!」などと押し付けられるのは真っ平御免被ります

余談ですが、科学では、実証プロセスそのものも怪しいことが、STAP細胞の一連の話の中で露見しましたね。

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