失われつつある「おもてなし」の心|顧客中心主義が元凶

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急須で淹れた温かい緑茶
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おもてなし

湯飲み茶碗を見て思い出しました。

子供の頃は、飲食店に入ると決まって緑茶が出たものでした。

それも急須でれた温かいお茶。

ほっと一息、子供ながらになごんだものです。

いつからかそのほとんどが水にとって代わりました。

お茶も出ないわけではないですが、客が来るたびに急須で茶をれるという手間を掛けるお店はごく少数派になりました。

急須で茶をという行為は手間のかかることです。

ある程度したら、茶葉を払い、入れ替えるなど、茶葉の状態の管理も必要で、手間暇てまひまが掛かります。

当時も、もちろん良い時ばかりではなく、混雑しているときなどは手が回らず、

このお茶は出がらしだね。

などどいうことも有りました。つまり、それは十分なおもてなしが出来ない場面です。

ですから、手間暇を考えると作り置きの冷やした麦茶を供する方が遥かに楽です。

おもてなしとサービスの違い

おもてなしは

家族と接するように、表裏の無い心で見返りを求めない対応

一方、サービスは

お客様が上、スタッフ側が下と上下関係がはっきりするもの

とあります。

顧客中心主義が「おもてなし」を駆逐し「サービス」をもたらした

旧来は、来店した客に対して、おもてなしで以て接客していました。

謂わば真心まごころの接客でしょう。

そこに「お客様は神様」といった顧客中心主義がもたらされました。

ここで上下関係が導入され、おもてなしはサービスに変わった。

そう言って良いのではないでしょうか。

おもてなしからサービスに変わることで、見返り、対価が常に問題になります。

そうすると効率よく見返り、対価を稼ぐ方が良いわけです。

多くの場合、顧客中心主義を標榜し、おもてなしを目指しているかの如く見せていることが有ります。しかしながら、顧客に対するサービスである以上は、常に見返り、対価が意識されます。

つまり、常に採算が念頭に置かれます。

おもてなしとは、採算とは無縁なもので、顧客中心主義的な考え方から言えば、本質的に採算に合わない行為だと位置づけられると思います。

銭勘定とは離れたところにあるのがおもてなしです。

顧客中心主義は顧客満足度を軸に妥協点を探る

冒頭のお茶の話に戻れば、おもてなしは、淹れたての美味しいお茶を召し上がっていただきたい、であるのに対して、顧客中心主義は、お客様が召し上がりたいのがお茶ならば、どうすれば、コストを抑え、採算に合う範囲で、顧客満足度を上げられるかとなると思います。

おもてなしは、内発的、自発的に相手の満足を目指すのに対し、顧客中心主義は、顧客満足度を軸に妥協点を探るものだと思います。

「お客様は神様」という言葉を発することで、「おもてなし」は消えてなくなってしまうものなのです。

おもてなしの消滅がクレーマーを増殖させた

「顧客中心主義」は営利主義的な概念であるのに対し、「おもてなし」は営利主義的な概念ではないのです。

顧客中心主義は顧客に均一なサービスを目指しますが、「おもてなし」は顧客均一には行われません。

接客する個々人のどうしたいかに依存するような概念だからです。従って、接客に従事する者に、ある程度、裁量がありました。

もてなす側が、相手をもてなしを受けるに値する者と看做されなければ、もてなされないでしょう。

先述のように、もてなす人間ともてなされる人間は対等な関係にあり、上下関係にはないのです。

従って、顧客も、相応のもてなしを受けるためには、行儀や作法が必要です。

今でいうクレーマーのような傍若無人ぼうじゃくぶじんやからがもてなされることはありませんでした。

それこそ塩でもかれたことでしょう。