覚えるというとまずは必死に暗記しているシーンをイメージすることが多いのではないでしょうか。それは、知識として頭の中に叩き込むということです。
知識を頭の中に入れるだけでよい場合も多いのですが、それだけでは駄目な場合があります。つまり知っているだけでは覚えたことにならない場合です。
知識を頭の中に入れるだけではダメな場合
それは頭に入れた知識の実践が必要な場合です。それはどのような場合を指すのでしょうか。
語学習得
分かりやすい例を挙げますと、語学の学習です。
文法を一通り終え、文法のテストは出来る。単語も覚えた。そして
それは知識としては知っているのですが、未だ実になっていないからです。実用出来る水準まで語学力を高めるには、
私はこの知っていることを、実用レベルまで訓練し
もう一つ他に例を挙げましょう。
出汁巻玉子
調理方法を習得するに当たり、出汁巻玉子や炒飯の作り方を、幾ら机上で学習しても決して出来るようにはなりません。微妙な火加減による温度調整、手首の反し、油の量や加熱時間などなど実際に何回も作ってみなければ、習得できないのです。
反復して練習し訓練を積み重ねることで、確かなものになって行きます。正に見るとやるのは大違いの世界です。机上だけでは、畳の上の水練ということです。
「覚える」の2つの工程
以上のように、頭の中に入れるだけではダメな場合の「覚える」には2つの工程があることが分かります。知識を習得する工程、知の血肉化の工程です。教育を施す際には、この2つの工程をしっかりと意識することが有効です。特に教育する側、教育者はこの後半の工程、知の血肉化の工程を意識して教えるか否かが大きな違いとなってきます。
企業内教育、企業研修においては座学が前半の知識を頭の中に入れる工程、OJT(On-the-Job Training)が「覚える」の後半の「知の血肉化」の工程を担っていると言えるかもしれません。しかしながら、これでは十分ではありません。OJTの内容の
言うなれば、教育される側が、新たに「覚える」必要のあるものとして、認識した一つ一つは、「覚える」の前半工程にあるものです。従って、後半工程の知の血肉化を要さないものについては、習得したと言えるのですが、知の血肉化を必要とするものについては、その工程を改めて踏まなければなりません。そして知の血肉化を要さないものについては、その知の血肉化を待ってその次の知識が身になるという状況もありません。
「覚える」に当たっての「知識を寝かせる」とは?
知識を習得してから時間を置くことを、私は「知識を寝かせる」と呼んでいます。そして短期間で習得したものは、長期間をかけて習得したものよりも脆いと考えています。
それは「知識を寝かせる」ことなく、次々を知識を詰め込むため、血肉化するための時間が無いからです。
土壌が何年もかかって堆積したものと、土砂崩れや人為的に持ってこられたものの地盤の違いのようなものだと考えています。
「知識を寝かせる」に纏わる仮説
仮説:受験時期に同じ成績なら、春から成績が上がってきた者より、春から成績が下がってきた者の方が合格率が高い
20年以上も前の話ですが、当時はベビーブームの頃で、所謂、受験戦争が有りました。現役高校生の数も多いのですが、浪人生もかなりの数でした。その時代に見て感じたことなのですが、受験の時期に成績(順位)が同じくらいだった場合、春から順位が落ちて来た受験生と春から急速に成績を上げて来た受験生では、春から順位が下がってきた受験生の方が合格率が高いようなのです。
一見すると成績が上がってきた者の方が勢いもあって、合格率が高そうにも思われるのですが、その逆の印象を受けました。その理由は、知識を寝かせた期間にあると思っています。
知識を寝かせることの必要性から、急速な詰め込みは身にならないと考えています。所謂「一夜漬け」が実にならないことは比較的知られていることのように思うのですが、より長い期間(ターム)で考えた場合も、同じことが言えそうです。
かつての日本企業の強みの源泉
かつての日本企業が掲げていた終身雇用と年功序列の合理性はこの知識を寝かせる必要性の中にもあるかもしれません。
従業員個々人について言えば、即戦力、即戦力とばかりに短期間で結果を求められれば、付け焼刃ばかりになってしまいます。知識を寝かせる余裕が無いからです。従って、いざという時には、粘りがなく、錬成が足りないということになるでしょう。底の浅い知識では、応用が利かないのです。
一方、集団として見た場合、つまり組織として見た場合には、知が血肉化して組織文化、企業文化としてまで定着させられるか、根付かせられるかの違いとなってくるでしょう。知識を一過性のもの、過渡的なものとして取り入れられるか、企業の文化として根幹にまで根付かせられるかは、従業員が、会社を一生の就職先として勤務しているか否かと無縁ではありますまい。
今回の話の中で、長期的視点に立って人材を育てることの重要性も垣間見えたのではないでしょうか。