「経営について考える」の経営とは
「経営について考える」は当ブログ(weblog)の題名(タイトル)であり、主題(テーマ)です。
お蔭さまで12月11日に通算50記事を迎えることができましたので、これを機に、当ブログで考える「経営」についてお話ししたいと思います。
経営という言葉からは、多くの場合、企業経営、会社経営などの営利を目的とした組織経営を想起されるかと思います。
また、学校経営などの言葉に象徴されますように、必ずしも営利を目的としない組織体の経営も思い起こされるかもしれません。
今後、記事として書くことが有るかどうかは別として、これらは全て当ブログで考える「経営」に含まれます。
当ブログでは更に広い範囲で「経営」を捉えておりまして、何らかの運営する必要のある対象を何とかやりくりすることを経営として考えています。
※ 「何とかやりくりすること」について、過去記事 >> 管理職が上手く機能しない理由|管理の対象は業務であり、人ではない管理職が上手く機能しない理由|管理の対象は業務であり、人ではないの中で言及しています。
運営については、大辞林(第三版)に拠れば
組織や機構などを動かし,うまく機能するようにすること。
とあります。
こうして考えると経営はありとあらゆるものが対象となってきます。
それでは、「経営」を大きく捉える理由をお話ししましょう。
経営者は意思決定の究極の立場である
経営する者、つまり経営者は常に選択に迫られています。
何かを意思決定し、行動するのも一つの決断です。
一方で、動く時ではないと判断し、行動しないことも一つの決断です。
十分に判断材料がない場合にも決断が必要なことも有ります。
存在する選択肢、若しくは現状、認識出来ている選択肢に良いものが無い場合でも、何らかの決断をしなければならない場合があります。
潜在的な選択肢の存在を予感しつつも時間的制約から、他の選択肢を選ばなければならない場合が有ります。
決断しないことも決断であり、時は流れます。
経営者は、制約された条件の中で、意思決定を迫られ続けます。
このように経営者は意思決定する者として究極の形だと思います。
この意味に於いて、経営者という意思決定者の形、その立場、その観点から物事を見極めて行こうということが当ブログのコンセプト(基本概念)です。
「人生の経営者としての自分」と「自分の人生」を考える
ここまでお話ししてきた内容からお判りいただけると思うのですが、当ブログのコンセプトに於ける「経営者」は、必ずしも世間一般でいう経営者とは限りません。
例えば、家計を預かる主婦も「経営者」であり、会社における中間管理職も「経営者」です。
中間管理職で言えば、与えられた上司や部下も所与の条件という訳です。雁字搦め(がんじがらめ)で身動きが取れないとしてもです。経営者視点からは、そこから活路を見出すことが必要です。
更に話を進めますと、人生を預かる自分自身も、自分の人生の経営者です。
制約された条件、才能、体力、能力、健康状態、家族関係、財産、友人関係などなど、あらゆる手持ちの資産、所与の条件から、人生を切り拓いていかなければなりません。
常に問題、課題は付いて回るでしょう。それらから逃れる術(すべ)は無いですし、放置することも一つの選択肢を採ったことになります。
人生の経営者という視点を持つと、より一層、現実的に自分と自分の人生を考えることが出来るのではないでしょうか。