どうやるかが問題となる職場とどうやらせるかが問題になる職場

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清潔なトイレ

どうやるかが問題となる職場とどうやらせるかが問題になる職場のお話です。

職場はこの二つに大別できます。

大別された二つの内のどちらに属するのかが、管理職の役割を決定づけます。

ところで、話はそこで終わりません。話の展開は如何に。乞うご期待。

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職場の二つの等級

様々な職場を観察していると業務の仕組みと従業員との関係に二つの種類があることに気付きます。

業務の仕組みと従業員の二種類の関係

どうやるかが問題になる職場とどうやらせるかが問題になる職場です。

どうやるかが問題となる職場とは、遂行しなければならない業務に対してどのように業務を行うのか。どうやれば付加価値の高い仕事になるか、言い換えればより効果的、より効率的に仕事をするにはどうすればいいかを考え、業務を改善して行こうという職場です。

一方で、どうやらせるかが問題になる職場とは、業務遂行の方法はさほど問題にできず、決められたやり方を如何いかに従業員にやらせればよいかが主題となる職場です。

どうやるかを問題にしたい

勿論、どうやるかが問題となる職場の方が高い水準にあります。

どうやらせるかが問題となる職場では、決めごとは守られません。業務の効率化、高付加価値化を問題にしたところで、そもそもルールが守られない訳ですから、いくら方法論を云云うんぬんかんぬんしたところで、方法論が遵守されない訳で、机上の空論、或は絵に描いた餅となってしまいます。

働いている人間の資質が問題にされるが・・・

一般に、働いている人間の資質が問題になるわけですが、実は経営者自身、或いはその職場の管理者の資質によるところが大きいと考えられます。

職場文化の自動安定化装置

例えば、どうやるかが問題となる職場に、どうやらせるかが問題となる職場文化に染まった人が入ってきたとします。

その場合、どうやるかが問題となる職場では、決めごとは守るのが当然と看做みなされていますから、手抜きやサボりとは言わないまでも、言われたことを単に遂行するだけでは十分な評価が得られないことになります。

卑近な例を挙げれば、品出しを命じられた従業員も、お客さんに声を掛けられれば、接客が優先事項になります。それを命じられたからと云って、黙々と品出しし続ければ評価は芳しくないのは当然です。

謂わば、臨機応変な対応が求められます。

どうやらせるかが問題となる職場文化に染まっている人間には、一念発起して自ら意識改革ができれば、どうやるかが問題となる職場で働いていけるのですが、負荷と感じれば脱落することになります。どうやらせるかが問題となる職場式を保てば、長く働き続けることはできないでしょう。

職場文化による適正淘汰

こうして職場文化そのものが、従業員を自然と選別して行きます。適正淘汰が起こるのです。

一方で問題意識を持った、どうやるかが問題となる職場に馴染む人材がどうやらせるかが問題となる職場に入れば、同僚たちの意識の低さに辟易へきえきし、嫌気いやけが差して辞めていくか、堕落し、どうやらせるかが問題となる職場に馴染なじんでしまうことでしょう。

或いは、自分だけはどうやるかが問題となる職場式に働き続けるいう選択があるかもしれません。この場合も、同僚たちとの軋轢あつれきは避けられないでしょうし、その人本来が持つパフォーマンスは発揮できないことでしょう。

職場は現在ある文化を踏襲させようとし、職場文化を維持しようという力が働きます。

それでは、この職場文化は誰が決定しているのでしょうか。

職場文化の最終決定因子は経営者

職場文化を決定しているのは経営者であり、職場の管理者です。

経営者には常に職場の責任が最終的には有ります。業務執行を委任しているのであれば、好ましい結果に導くよう執行責任者に働きかけなければなりません。

少なくとも望ましくない職場文化ができているとすれば、現状を容認している管理者を選んでいるのは、直接的であれ間接的であれ、他ならぬ経営者自身と云えるのです。

経営者は、職場のパフォーマンスに問題が有ると感じれば、何らかの対応が必要です。

事務所やトイレが清潔ではない

会社や店舗で気付くことで、きちんとトイレが清潔な会社と乱雑で汚れたところがあります。

これも経営者の考え一つです。

トイレを清潔に保っている企業

或る会社の社長は、企業を訪問したら必ずトイレを見ると言います。

トイレが汚い会社に優良企業は無いとまで言います。

従業員に、

トイレは清潔に保ってくれ。

汚して会社を潰さないでくれよな。

だとか、

彼はいつもトイレを掃除している。

彼は陰徳を積んでいるのだ。

だとか、

(ビート)たけし[北野武]が、自分が成功した理由に下の世話(トイレの掃除)をきちんと自分でやっていることを挙げていた。

(うろ覚えの記憶です。もしかすると北野さんではなく別の方だったかもしれません。)

と折に触れて従業員に意識づけしていました。

そして掃除夫は雇わず、従業員にローテーションしてトイレ掃除をさせていました。社員教育の一環だと考えられます。

従って、トイレが常に清潔に保たれていたことは言うまでも有りません。

一方、雑居ビルに本社を構える上場企業の社長です。

トイレが汚れた企業

他のフロアのトイレに比べ、当社のフロアのトイレは著しく汚い。

こう指摘した従業員がいました。

この会社の社長のそれに対する反応は、

何故、他のフロアのトイレの清潔さを知っているのだ?

だと云います。

要するに自社の問題を認識しようとせず、関心が他所に移ってしまっているのです。

この企業では掃除は清掃業者に依頼しています。

清掃しても従業員が直ぐに汚してしまいます。

当然にこの企業のトイレは依然として汚いままです。

トイレの清潔さは経営者の意識で決まります。

ちなみにこちらの企業は、取引先や転職エージェントの間で、酷く評判が悪いようです。

常軌を逸した低単価で仕事を請け負い、顧客が満足するような仕事はしないそうです。そして、苦情クレイムが出ると、この金額で満足の行く結果が出るとお思いですかと居直りさえするのだと従業員から直接に聞きました。また何人かの転職コンサルタントに聞いたところでは、良く無い噂が業界内で周知されているとのことでした。

お伝えしたいことは、同社の非難ではありません。トイレの清潔さに意識の行かないような企業というものは、そこかしこの感覚がずれていると云うことです。

トイレの清潔さは価値観の象徴の一つ

トイレの清潔さは些細ささいなことに感じるかもしれませんが、「事務所やトイレが清潔ではない」は、帝国データバンクの「これから始める与信管理」にある「危ない会社のチェックリスト」の一項目です。

経営者の意識は、企業組織、事務所建物などなど会社総体の枝葉末端にまで反映されます。トイレはその一例です。

経営者が些細なこと、大したことないこと、取るに足りないことと感じていることは会社で軽視されています。

たかがトイレ清掃、されどトイレ清掃です。

会社は全てが見られています。