ルールを破るから自由が失われる

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軛

日本は法律や規則対して比較的好い加減な国です。

規範意識に希薄と言いますか、自己判断で取り決めを簡単に破ります。

ひょっとすると反論がありますか。

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法令遵守コンプライアンスを重視して裁量を排除せよ

日本は法律や規則を遵守する国柄だと思い込んでおられる方も居るでしょう。

では早速、反証を挙げましょう。例えば交通ルールです。

あまりきちんと守られていませんね。

交通ルール

速度制限を時速10キロ程度超過して走行するのが一般的ではないでしょうか。

おおやけには制限速度は守らなければならないとしますが、暗黙の了解で皆は一般道を10キロ程度はオーバーして走っています。

路上駐車も同様です。駐車禁止の道路標識があるところに平然と駐車しています。酷い車になると駐停車禁止区域にすら駐車しています。

明示的に駐車禁止の道路標識は無くとも、例えば建物の出入り口の前など、一定の範囲では駐車禁止ですが、駐車が後を絶ちません。それを防ぐために、シャッターなどに出入口前の駐車はご遠慮くださいと張り紙があることもあります。

いかがでしょうか。ごく普通に起こっていることばかりなので、どこでも同じではないのかと思うかもしれません。

以前に読んだ本に参考になる記述があったので紹介します。

ドイツとフランス

われわれは今、フランスの道路を走行しているとします。憲兵たちが道路脇に隠れて、スピード違反を摘発しようとしている。すると大抵、フランス人の軽犯罪者コミュニティともいうべきものが自然発生し、対向車でヘッドライトを点滅させ、気を付けろよと教えてくれますね。

今度はドイツにいると仮定しましょう。誰かが違法駐車をしている。と、近所の人が警察を呼びますよ。フランス人にとっては、これこショッキングな話でしょう。

[出典:「『ドイツ帝国』が世界を破滅させる 日本人への警告エマニュエル・トッド著]

ドイツもフランスも、そしてまた日本も全員が同じというわけではありませんが、文化的傾向が見て取れます。

ルールとの付き合い方の可能性

恐らくは多くの日本人にとってはフランス人の感覚の方が違和感を覚えないでしょう。一方で日本人やフランス人の感覚は普遍的なものでは無く、対極としてドイツ人のような感覚もあるのだということを理解してください。

要するに、法令遵守の考え方には、現在、日本人一般が馴染んでいるものの他の可能性もあるということです。

ルールとの付き合い方が権力を強くする

法律や規則との付き合い方で権力は強化されます。

これはここまでお話ししてきた交通ルールの話では、警察或いは憲兵の後ろ盾である国家とその国民ですが、組織と組織構成員についても当てはまります。

先程の交通ルールの話を更に進めましょう。

フランス人や日本人の一般にとって、先のドイツ人の対応は融通が利かないとか、寛容でないなどと感じるかもしれません。

しかしながら、フランス人や日本人の感覚は国家や組織の権力を強化する考え方です。

裁量の拡大

容認・黙認する理由を問え

どういうことかと言いますと、例えば時速10キロオーバーを取り締まらないのは、何故でしょうか。スピード違反で逮捕しようと思えばいつでもできるのです。ところが敢えて逮捕しないのです。

容認・黙認する範囲の基準は!?

また、超過スピードも時速10キロまでなら黙認されるのか、或いは時速15キロまでなのか、はたまた時速20キロまでなのか。

つまり、時速10キロオーバーを捕まえるも捕まえないも警察の裁量なら、時速何キロまで容認するか決めるのも警察の裁量ということになります。要するに「俺がルールだ」の現象を、市民の側から作り出しているということです。

法令遵守コンプライアンス恣意しい性を排除する

一方、先のドイツ人ならどうでしょうか。厳格に法令遵守しています。すると、そこには権力に裁量の余地はありません。万人が遵守すべき法律や規則に則っているだけです。これは権力と雖も従わなければいけないものですから裁量の入り込む余地、恣意性の介入する余地はないのです。

要するに、融通を利かせて自分たちに便宜を図っているつもりが、権力の裁量を拡大し強化してしまっているということです。

会社の権力

さて、ここまでは交通ルールを題材としてきたので、国家、特に警察と市民との関係について述べてきましたが、組織と組織構成員メンバー、具体的には会社と従業員との関係でも成り立ちます。

例えば、社内規程などのルールとどう付き合うかということです。

出社時間

仮に就業時間が6時から15時と世間一般とは異なっているとします。

7時からでも間に合うのですが、他の支店との兼ね合いで6時から勤務開始となっています。ところが朝早いこともあって、現場の暗黙の了解なのか、誰が決めたともなく皆が7時に出社していました。

どうやら会社は黙認しているようです。

裁量を行使しているつもりで裁量を与えている

事例は異なれども、類例、つまり決めごととは異なった運用がなされているケースは様々なところで見られるのではないでしょうか。

これも規則を遵守していないことで、会社に力を与えています。

会社は、いつでも手の平を返して、就業規則に従っていないと、従業員を勤務状態を糾弾できるからです。

平常時には、容認・黙認されたままでしょうけれども、例えば人減らしを行いたいときなどに恰好の材料を提供することになります。

容認・黙認というところが曲者くせものなのです。ここでもルールをないがしろにすることで、会社権力に裁量を与えています。

自衛手段

市民や従業員が、ルールを守らないことで与えた裁量による国家や会社による権力の行使は、不当なものに感じられるのではないでしょうか。

しかしながら、権力を与えているのは他でもない市民や従業員なのです。

それでは、どうすれば良いのでしょうか。

当たり前の結論ですが、法律や規則を遵守することです。そして、現実にそぐわない法律や規則は変更するよう要請することです。

そしてもう一つは、現状に合った法整備を行うこと。これが権力を濫用させない、裁量を与えないために必要です。

最後に、もう一つ大切なことは、判断の客観的な基準を設けること。例えば、制限速度時速50キロの道路を現実に合わせて超過速度を認めるのなら、制限速度を曖昧にせず、例えば時速60キロと客観的基準を設けることです。

誰が判断しても同じ結論を出せるような基準で無ければ裁量の余地が生じます。権力の胸三寸にしてはいけないということです。

裁量や恣意性の余地は、権力を強化することに留意すべきなのです。