他者のコンテクストを理解するということ
他人のコンテクストを無視する人々について、前回記事 ¶ 他人のコンテクストを無視する人々で触れましたが、今回は他人のコンテクストを理解する人々についてお話しします。
他人のコンテクストを無視する人々を、他人のコンテクストが存在しない人々、更には他者が存在していない独我的な認識者と云うかたちで描きました。
コミュニケーション成立への試み
一方で、他人のコンテクストを理解する人は、他者のコンテクストを探る人であり、共鳴・共感をキーワードとしたコミュニケーション成立への試みであるとも言えます。
他人のコンテクストの存在を意識しない人々が、幼稚或いは精神疾患の疑い有りでコミュニケーションの成立しない人々とするならば、他人のコンテクストを理解する人とは、他人のコンテクストの存在はおろか、他人のコンテクストを意識してコミュニケーションの成立に努める者です。従って人としての成熟の一つの方向性を示すものと言えます。
つまり、より強く相手のコンテクストを理解することは、より強く相手を理解することでもあり、より強く相手と関わることでもあるからです。
具体的な例でお話を続けます。
セブンイレブンにて
帰省した時のこと、自家用車で東海道を横断しました。御殿場を抜け、国道一号線をひた走り、出発してから6、7時間は経ったでしょうか。少し疲れたので、浜松でバイパスを下り一般道の方へ出ました。
下りて初めての交差点は、奇しくも懐かしい交差点でした。小学生低学年の頃に通っていた小学校の近くの交差点だったのです。
深夜でした。交差点の角にあるセブンイレブンに入り、寒い時期だったこともあり、体を温める為に温かいコーヒーを買いました。
話す必然性の無い話
今回の状況こそ、前回記事で示した台詞の文字通り
あなたの個人的な話をされても私には関係ない。
ある程度付き合いがあるならばいざ知らず、出会って間もなくあなたの話には興味がない。
と感じられても仕方のない場面です。
客商売なので、あからさまにこう明言することは
はあ。はい。
と当惑を示す
実際
現実的には、話した自分が馬鹿だったと感じるような機会が多いと思います。
実際のところ、興味を持っているわけではない相手から、いきなり身の上話をされても迷惑なはずです。
ところがこの場面、浜松へのあまりの懐かしさから、つい話してしまったわけです。
仮に店員さんが当惑を示しながら、私を軽くあしらっていたら、記憶に残る話にはなっていなかったでしょう。
一期一会
話し手の思い入れを敏感に感じ取り、話に付き合ってくれたと言えるでしょう。
一期一会とでも言いましょうか。
コンテクストを探る-傾聴の大切さ
背景を知らない相手の話を断片的に聞き、コンテクストを探るのは比較的骨の折れる作業です。
常日頃から、人の話をきちんと聞く習慣を身に付けている人でなければ、先の通り「はあ、はい」と云った返答にならざるをえないでしょう。人の話を聞くと言うことそれなりに重労働なのです。
一方で、自分が思わず何らかの感情を発露した時、誰かがそのコンテクストを探り、共鳴・共感してもらえたら嬉しいはずです。
その共鳴・共感を他人に期待するだけでなく、自分自身も共鳴・共感できるよう心掛けなければなりません。
その為には日常的に傾聴する習慣を身に付けることです。
接点を見いだせるかもしれない話を聞き流すということは、相手を無視することであり、極論すれば、「相手のコンテクストを無視する人々」に該当することになるでしょう。
人として関わる以上、他者のコンテクストの尊重は、努力目標と言うよりは責務と考えた方が良いのではないでしょうか。
そうしてお互いのコンテクストを探り、それをお互いに織り込んでいくことがコミュニケーションなのかもしれません。
コンテクストを意識した接客
他者のコンテクストを意識する、他者のコンテクストの理解に努めると云うことを企業として取り組んでいるのではないかと思われるところがあります。
スターバックスです。
スターバックスでの心地良さ
コーヒー一杯を買いに行った時、店員さんと交わす一言二言に現れています。
客側が何か言ったことを受け止め、理解しようと努めるだけでなく、店員さんも自ら何か誘い水として声を掛けてみるといったことを試みているように見受けられるのです。
間違っても、件の「はあ、はい」と云った受け流しは無く、コンテクストを理解しようとしているように見受けられるのです。
都内のスターバックスに入った時のことです。大雨と強風で、びしょ濡れでした。地下鉄経路が不便であり、大回りになるので歩いてきたと云った話をしたと記憶しています。
スターバックスでは、当日のレシートでコーヒーを100円でお代わりできるのですが、予定時間に未だ間があった私はお代わりに行きました。
コンテクストを意識
すると先程の店員さんは私を認識し
服は乾きましたか。
と声を掛けてくれました。
些細なことと思われるかもしれませんが、ここには既に一つのコンテクストがあります。
1回目にコーヒーを買った。お代わりに行った。この2つが、同一のコンテクストの中で語られているわけです。
お代わりで繋がっているわけではありません。お代わりのお客は、繁盛店ですから、他にも大勢います。
2つは「雨でずぶ濡れ」で括られているのです。
こうして見てくると、他者のコンテクストを理解すると言うことは、他者を思いやる、気に掛けるということに繋がることが判るでしょう。
接客業で仏頂面は論外ですが、スマイルだけでも駄目なことは分かりますね。
これまで簡単にコンテクストという言葉を使ってきましたが、コンテクストは非常に複雑です。引っ掛かりの数だけ多重的・多層的に存在するものだからです。これについては機会があったら、触れることに致しましょう。
⇒コンテクストについて、改めて ¶ なぜ場違いな発言をしてしまうのかで触れました。