広報・IR担当として勤務していた時代のこと。
四半期ごとに
編集後記を末尾に掲載するようになってしばらくして、社長から実名で書かないのならば、掲載を取り止めなさいという指示が出ました。それまではペンネームでの掲載です。
社長曰
これからは記名記事こそが価値を持つ時代になる。
匿名の書き物に価値は無い。
新聞記事でも記名記事は別格である。皆がこうでなければならない。
当時は、誰が書いたかではなく、中身で評価して欲しいという思いが強かったことから反発を覚えましたが、果たして社長は正しかったのです。
蝕 み
検索項目
メールソフトは
その方法として、USBメモリーからも起動できる
※同期を取る・・・簡単に言うと、その時点でのデータが全く同じになる状態にすること。
豊富な検索結果
予期した通り、確かにウェブ検索結果には、何件もデータ移行方法は現れます。ところが試しに説明通りの手続きで移行を試みましたが上手く行きません。そこで、改めて検索し、現れたウェブページをいくつも閲覧しました。
近頃のウェブ検索の結果を当たるとしばしば見られる現象なのですが、どのページも通り一遍のことを
要するに役に立たない情報ばかりが目に付くということです。
嘆き
最終的に検索結果で見い出したものは、ウェブで見つけたメールデータの移行方法を試したが実現しなかったという嘆きでした。
一連の検索結果を見たところ、更新日時などから推測するに、仕様変更などによって機能しなくなったといったものではないように思われました。古いものばかりではなく、新しい投稿日時も散見されたからです。
パクリ!?
そこで、最近のものについては、
原初は
掲載者の言い訳は、恐らく「
※ 念のために申し上げておきますと、書き換えに価値の創造はありませんから、パクリ、つまり盗用、
元々の投稿者は、自分の見い出したデータ移行方法を役立ててくれる人もいるだろうという価値の共有が目的だったはずですが、それをトラフィックの集まりそうな情報、収益化に役立つ情報として付加価値を生み出すことなく、盗用しているのではないかという疑念です。
少し前までは、PC関連の手続き的な情報に嘘はないだろうと思っていました。白黒をはっきりできる事柄だからです。
教え騙 し
パクリという盗用、剽窃以前に、情報の信頼性そのものに問題があるということです。
著作権侵害に関して、つまりパクリについては、制作者側の問題として
※ 本当は、パクリについても、
情報劣化の流れ
インターネット
広告媒体としての定着
当時と何が変わったことが原因かと言えば、インターネットが、ウェブが、
言い換えれば、ウェブ媒体が、広告収入媒体としての価値が広く一般にまで浸透したことです。
象徴的な例を挙げれば、インターネット黎明期はポータルサイトを無料で使用できる理由、つまり、何故運営会社が無料でサービスを提供して行かれるのか、ピンと来ない人が多かったのです。また、頭では理解しても、
素朴な自己表現の手段としてのホームページ※からの変質
※ 当時はIBMが販売していた一般向けウェブページ制作のソフトウェア「ホームページビルダー」を使う人が多く、その影響もあってか、ウェブサイトのことをホームページと呼ぶ人が多かったのです。現在では、ホームページは、ウェブサイト内の基点となるページを呼ぶことが多いです。ホームボタンやロゴマークをクリックすることで移行する起点とも言えるページです。
インターネット
金の亡者 と有象無象
書籍のように、
その象徴的な出来事が、先日
善意から算盤 へ
個人の趣味や興味でコンテンツが提供されていた、謂わば善意のコンテンツのインターネット黎明期から、何らかの収益化(
その様な中、どのようにウェブ情報、ウェブコンテンツと関わって行くかが問題となります。
匿名性の解体と新しいコンテンツとの関係性
ここで
これからは誰が書いたかがこれまで以上に重要になってくるということです。
冒頭では、特に企業の広報紙、IR紙ということで、実名を使う指示が出たというお話しをしたのですが、コンテクスト次第では、無論、ペンネームで構わないでしょう。
記名するということは、記事に、コンテンツに、責任を持つという意味が有ります。読者はその記名された名義を記事の信頼性の足掛かりにできるということです。
メディアの信頼
例えば、新聞社のウェブサイトであれば、新聞社名での信頼、そして個別記者の信頼と云った具合に複層の信頼が積み重なります。
元々は、大手の
仮に、新聞社で、○○新聞の記事は信頼できないと断定されたらもうその新聞社はお終いです。嘘を流した
そう言う意味で、DeNAは少なくとも情報提供者としては終わったと言っても過言ではないと思います。
ゴミ記事・ゴミ記者・ゴミ編集者・ゴミ企業
コンテンツ作成者は、
下請けは収入を確保するためには数をこなす必要があり、記事の質は担保できない。架空の報告記事などを作成、つまり、でっち上げを行う。
コンテンツ作成者は、それを編集・校正して記事にする。原稿を書いたのは自分では無いことで免責とばかりに、事実確認を行わない。つまり裏を取らずに編集校正、そして脱稿。
これではまともな記事が仕上がる筈はありません。
「ライティングの仕事は誰にでもできます!」
まともな文章を書けない人を
記名でライターが責任を持って書き上げる記事と質が大きく異なることは自明でしょう。
勿論、記名と言っても、ただ名前の記載があるだけの使い捨てペンネームでは意味を成しません。記名による信頼は一定の品質を確保した記事の継続的な提供で培っていくものです。
口コミ記事1本800円
アンケートや口コミ情報が、組織的に創り出されていたとしたら、信頼できますか。
匿名掲載が前提で、口コミ記事を1本幾らかで買い取ると言われたら、どうしますかということです。
推測の域を出ませんが、
私一人くらいなら適当に書いても・・・
今ではもっと大胆に、
みんなやっていることだし、ウェブで検索して、適当に文章を弄って納品しちゃおう。
どうせバレないし。
こんな具合に口コミが量産されているのではないか。
記事の依頼者側も或る程度、でっち上げてくること、作文してくることを織り込んでいるのではないかと思うのです。
今日現在確認できたもので「MERY、welqライター経験者歓迎!」と銘打った求人がありました。
パクリ、つまり盗用、
閉鎖されたウェブサイトのライターなら、仕事にあぶれているだろうという推測を元に考案されたキャッチなのかもしれませんが、一昔前ならば、この手の表現は
ライター個々人の信頼
記名された名義の価値は、勿論、日々変動します。信頼に
分かり易く言えば、例えば、読者の皆さんが、仮に福永晶を信頼してくれているとします。その福永晶が書いた記事、つまり福永晶名義の記事であれば、どの
ウェブサイト・ブログの新しい仕組み
ですから複数のライターが執筆した記事からなるウェブサイトでは、コンテンツごとに文責をはっきりさせることが必要なのです。
或る記事を読んで、記事の信頼性に不安を持った場合でも、他の執筆記事を併せて読むことで、どのようなライターが執筆したものなのかを確認できる仕組みが必要ということです。
きちんとした記事を提供しているライターか、或いは
責任による信頼の数珠つなぎ
※ ここで敢えてライターという言葉から、執筆者という言葉に替えたのには意味があります。これまで敷衍してきたコンテクストで、ライターは単に書く人以上の意味を持ちえない印象を与えたように思われるため、印象を一新する意味で、執筆者に換えました。
仮に原稿を下請け(ライター)※に依頼したとしても、自らの名義で
※ 下請けを募る場合、間違っても「MERY、welqライター経験者歓迎!」などというキャッチは使わないと思います。言わずもがなではありますが、負の経験を想像させるからです。
いずれにしてもゴミコンテンツの垂れ流しを避けるためには、責任の所在を常に明確にし、それによる評判が責任者に跳ね返る仕組みが必要でしょう。
責任の所在を基に、信頼を数珠つなぎにすることなのです。