やらされ感払拭 の鍵
人が何か行動する時には、2通りの心の在り方があります。
ひとつは「私はこうしたい」(以下「
もうひとつは「私はこうすべきである」(以下「
※
やらされ感は言うまでもなく、「汝為すべし」の心の状態です。
指示・命令を受け、やらなければならないと感じ、自身の意志や欲求とは別に、心の中で、こうしなければいけない、こうすべきだという意思に支配されているわけです。
組織というものを
つまり、職位、職掌が「汝為すべし」と命じるのです。高い職務遂行の意識を持っていたとしても、強い責任感が自身に命じるので、基本的には「汝為すべし」となります。
高いパフォーマンスが期待できるのは、「汝為すべし」より、「我欲す」であることには、特に説明が要らないでしょう。
この「汝為すべし」が「我欲す」でもある場合、若しくは、心の状態が「汝為すべし」を「我欲す」が上回っていれば、理想的と言えます。
仕事をしてはいけないよ。遊びと思ってやってね!
或る会社の社長
仕事をしてはいけないよ。遊びと思ってやってね!
事の本質を捉えています。つまり、仕事には「汝為すべし」ではなく、「我欲す」の気持ちで取り組んで欲しいということを言葉を換えて伝えているわけです。
従業員にある程度の信頼が置けるという背景がなければ、なかなか発することのできる言葉ではないと思いますが、言い得て妙です。
命令ではなく同じ高さから働きかけることの大切さ
さて本題ですが、これを従業員の啓発や教育にどう結びつけたらよいかです。まず、「汝為すべし」が呼び起こされる背景には、命令が存在します。それは、組織における業務命令だけでなく、倫理感や法律規則など自身を義務付ける命令主体は無数にあります。
命令は、従わざるを得ない自分より高い位置に存在するあるものから発せられます。ここに鍵があります。高い位置から出なく、同じ高さから、働きかけるのです。
どうしたら良いと思いますか。
どうしてそういう行動を選びましたか。
どうしたいですか。
などと問いかけ、教育を受ける側が言葉を発するのを待ちます。
不謹慎な発言も敢えて許し本音に迫ることからスタート
はじめのうちは、教育者に期待されているように答えようとするでしょう。そういった答えでは、先に進んで行かないので、「怒らない」、「評価には影響させない」事を前提とし、これをしっかり理解してもらって、本音を語ることができるよう導きます。
これには相当な信頼関係が必要です。自分が相手を本気で受け入れ、関わる気持ちを持ち、それが相手に伝わらなければなりません。それが伝わらない限りは、心を開いてくれないので、相応のコミュニケーション能力が望まれます。
「面倒だから」といった、不謹慎な言葉であったとしても本音を口にできる関係が、ここに提案する教育の基礎です。なぜならば、対話を通じて軌道修正を図りつつ、少しずつ進めていく方法なので、その軌道を逐一確認できる必要があります。その為には、本心をさらけ出してもらえないと、実のところが分からないということになると思います。
心に言葉が届くようになったら、奥なる自分と対話するよう促す対話をします。
どうしたいのですか。
このままで良いのですか。
本心は何を望んでいるのですか。
すると
こういう形でアプローチしたいと思っています。
このままではいけないと思っています。
実は、こうしたいと思っていました。
といった答えが返ってくるようになります。
教育を受ける側が、自分の本心との対話を始めたとき、教育する側は、対話形式を取りながら、教育する側の持てる情報・知識・経験などなどを駆使し、教育を受ける側の思索や軌道修正の手伝いができます。
心というものは、何層もあって、なかなか自分自身でも、分からないところがあります。一進一退が続くこともあるでしょう。しかしながら、粘り強く対話を続け、繰り返すことで、相手の心からの言葉を引き出し、「汝為すべし」から「我欲す」に発展させられるのです。
教育者には高い課題解決能力と忍耐力が求められるが、盤石 な信頼関係を形成できる
教育者には課題解決能力と忍耐が求められます。それは、教育を受ける側の発した心の声を「我欲す」に導くためのストーリーを、そして軌道修正の為の
苦労は付いて回ります。しかしながら、このように関わって行くことで、強固な信頼関係が生まれ、組織も円滑に運営されるようになります。こうした教育を通じて結びついた人間関係は組織をより強いものにしていくことでしょう。