一流
奈良県と三重県の県境にある蕎麦屋へ行きました。
1月5日のことで父と共に出かけました。
帰省の折に、何度か訪れたことのあるお店なのですが、今回は特に満足しました。
店内
新そばを思わせる緑がかった蕎麦の色。
そしてもちろん味。
ほんのりと鰹香る付け汁。
丁寧に揚げられた野菜と根菜からなる天麩羅、特に菊芋。
牛蒡もしっかりと旨味が感じられました。
「BARレモン・ハート」という漫画の主人公でバーのマスターが
美味しいお酒を飲むと自然に涙がでるのです。
と言うシーンがあるのですが、私は心のこもった料理をいただくと自然と涙が出そうになります。
狭い店内で、大人数は入ることが出来ません。
着いた時には席が一杯で、入り口にある待つための椅子に掛け、中の様子を伺っておりました。
大きな机にぽつんと一人座っています。
相席はさせない方針のようです。
丹精込めて作った蕎麦をじっくりと味わってもらいたい。
そういうことでしょう。
お客さんが一人帰り、席につきました。
回想
すると父が、私の後ろにある薪のストーブの炎に見入っていました。
そして「炎の揺らめきは落ち着くね」とつぶやきました。
傍に電動の石臼が有り、以前に八日市場(千葉県
その時も父と同行していたことから話題にすると、父もしっかりと覚えていました。
気さくな店主が蕎麦の
蕎麦好きの父にしても忘れたくても忘れられない思い出になっているのでしょう。
目配り、気配り
そうこうしているうちに、他の席も空き、新しいお客さんが席につきました。
そこでお客さんが、席について荷物を整理していた時なのか、箸を落としてしまいました。
箸先が、紙に包まれているので、特に交換は申し出なかったのだと思います。
お店の方は、忙しい最中、それでも音を聞きつけて、箸の交換に現れました。
目配り、気配りが出来ているのですね。
目配り、気配りの観点がとても素晴らしいと感じました。
蕎麦湯は催促されて出していました。
父によると、普段は食べ終わる頃合いに出してくれるそうです。
見るからに混雑していたので、きっと手が回らなかったのでしょう。
でも、この状況ならこれで良いのだと思います。手が回らないのを先取りして、蕎麦を出すと同時に、蕎麦湯を出すお店もあります。その場合、必ず蕎麦湯は冷めてしまいます。美味しい蕎麦湯のためには、先出しは禁じ手なのです。
提供するものを全て提供しさえすればよいというわけではないところに飲食店の難しさの一つはあります。
箸の交換と蕎麦湯のことを考え合わせると、優先順位をきちんと付けているということが窺われます。
考えてこのようにしているのかは定かではありませんが、「お客様に最良の状態で最良の蕎麦を召し上がっていただく」という基本理念が根っ子にあり、それに基づいて行動していると思われるのです。
ところで、こちらのお店、三重県内の有名なお店で修行されたとのことです。
修行元
実は、その修行元の蕎麦屋にも何回かお邪魔したことがあります。
残念ながら、こちらではこの基本理念が貫かれていないのですね。
器の欠けに見る職人の心
人気の老舗で、待ち時間も長いので、相席は仕方のない部分もあるかもしれませんが、欠けた器を平気で使っているのは感心しません。
弟子の店では、器が大切に扱われ、欠け一つ無いのに対し、親方の店が欠け放題の器で蕎麦や蕎麦湯を提供しているのはとても残念です。
父に器の話をしたところ、「どうしてだろうか?」と聞かれたので、こう答えました。
「客を馬鹿にしているんでしょう。」
欠けた器を無頓着にお客に差し出す。
お客は気づかないと思っているのでしょうか。
元来、食器の「欠け」というのは忌まれて来たものだと思うのですが、いかがでしょう。
お弟子さん
お弟子さんの店の器も、決して樹脂や金属などの欠けない素材の廉価品ではありません。
器は丁寧に上げ下げし、丁寧に洗っています。
大切にしているのです。
一期一会
お弟子さんの店は、夫婦二人(「夫婦」は想像)で営んでいる小さなお店ですが、真心のこもった料理を提供しようとしています。
一期一会の精神と言って良いかもしれません。
要するに心の問題なのだと思います。