自世界の外側の人々について|知らず知らずと疎遠になった人々

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外側の世界

世の中には様々さまざまな人がいます。

大抵たいていの方は、これに首肯しゅこうしてくださると思います。

しかしながら、それは私が今、正に申し上げたい意味合いとは恐らく違う意味でなのではないかと思うのです。

それがどのようなニュアンスであるのかについてこれからお話ししたいと思います。

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外側の人々

様々な人

人は、一般に、成長するに従って、小学校、中学校・・・と幾度か進学し、就職と何段階かのプロセスを経ていきます。一見すると当たり前で、普通の話なのですが、実は、このひとつひとつで、周りに存在する人が、り分けられているのです。

人種の坩堝るつぼ

具体的にお話ししますと、まず小学校は人種の坩堝るつぼと言えるでしょう。それは単に同じ通学区に住むという理由だけで、同じ学校に通っています。もちろん、人によっては、私立小学校に進学する場合など例外はあるかもしれません。その場合は、既にその段階から選り分けが始まっています。

時間と共に進む選別

選り分ける・・・選別・・・ここには差別的な意味はありません。価値・評価を含めた意味での選り分けではなく、網にかかった魚を、種類別に分けているような感じで捉えてください。意味するところは、段階が進むにつれて、同じような人間が集まるよう選り分けられていくという事実の存在です。

この各々の段階、つまり、中学校、高等学校など個々の段階の中でも、選り分けは進みます。クラブ活動は何を選ぶか、部活動を行うか、否かやどんな習い事や塾に通い、どんな友達と付き合うか、どんな趣味嗜好を持つかで変わっていきます。

同種の人間が集まって行く

仕事でも同じです。一部を除けば、顧客層や同僚も自然と同質に近いものが集まって来がちです。同質でない人がいたとしても少数派でしょう。

そうなのです。望むと望まないとにかかわらず、自分の周りにいる人々は、単に顔ぶれが、自然と変わってくるだけでなく、中身に於いても変わっています。自分が付き合っている人は、自分と同質の人間になりがちなのです。

日常の意識外にある人の存在

ようやく結論に辿たどり着くことが出来ました。お伝えしたかった「様々な人」の「様々」とは、現在の自分の周りではなく、その外側なのです。いつも見慣れている周囲の人々ではなく、これまでのプロセスで選り分けられ、疎遠になっていった人々の存在です。謂わば、自分が認知している世間、世界の外側にも、感性系の異なる人々がたくさん存在しているという意味です。何となく存在することは感じていても、意識的には見ていない人々の存在です。

この意味における「世の中には様々な人がいます」に基づいて、次回以降お話していきたいと思います。


[以下追記 平成28年11月24日]

学生時代にcampusキャンパスpilotisピロティで友人がポツリとこぼした言葉が今でも記憶に残っています。

「こいつら馬鹿だなぁ」と思ってもまだまだましな方なんだぜ。

歩いていていきなり殴りかかってくるようなことは無いし、普通にして居られる。

酷いところでは、それすらも叶わない。

友人は、今回お話しした「外側の世界の存在」について言及していたのです。

言葉は悪いですが・・・

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