勘案すべき要素を洗いざらい拾い上げる。これは決して簡単なことではありません。
網羅性を担保するのは、困難なであることが殆どなのです。
人はそのことを時として忘れます。忘れてはいないのかもしれませんが、意識の外に置いてしまいがちです。
こうして傲慢は生まれてきます。
制約条件は常にある
経営とは常に選択し続けること
経営では、制約された条件下で、最良、最善と思える選択肢の無い中、なんらかの選択肢を選び続けなければなりません。
所与の条件下(与えられた条件下)で、常に、最適と思われる選択肢を選び続けることとも言い換えることができるでしょう。
制約された条件、所与の条件というところが大切で、経営者というのは、与えられた条件下で、たとえ良いと思われる選択肢がない場合であっても、何らかの選択を迫られます。
そして仮に選択しないことさえも、一つの選択をしたことになってしまうものなのです。
仮に100点満点として、選択肢が、30点と50点と思われるものしか存在しなければ、50点を選ばざるを得ないのです。選ばないことで、10点を取るわけにはいきません。無いものねだりは出来ず、常に待ったなしの状態です。
経営判断の背景には他者に見えない要素が必ずある
経営判断というものは、その制約条件を知るものから見れば、十分に妥当な判断であっても、他の者から見れば、そうは見えないことがあります。
経営を複数のパラメーターを持つ関数と考えれば、そのパラメーターの一つを知らない、意識しないことで、判断は変わるからです。
従って、経営というものは批判に
結果指向に必要な確たる軸足
傲慢になってはいけない一方で、確たる軸足が必要になってきます。批評、批判には左右されず、批評、批判に耳を貸す度量が求められます。
理由は簡単です。経営者にとっては、何度も言うように目的は制約された条件下で最適な
中傷には耳を貸す必要はありませんが、批評、批判は真摯に受け止める必要があります。一面の真理やヒントなどが含まれていることが多いからです。
結果を求めることから決してぶれない
確たる軸というのは、己の方向性に固執するということではなく、本来の目的に忠実で、囚われない自由な精神を持つことです。外野の言葉に右往左往せず、利用できるものは最大限活用し、臨機応変に自己の判断すら変えて行かれる柔軟性を持つことでもあります。
結果を求めることから決してぶれないことこそ確たる軸足なのです。
君子は
自分のこれまでのやり方や経験などに縛られ、現状認識を怠って現実から乖離したり、何かに固執して、より相応しい選択肢が採られないとしたら、真剣さが足りないといわれても仕方がないです。
[以下追記 平成28年11月23日]
自説を曲げられないことは自分の殻を破れないこと
時として自説を曲げないことを偉大なことと勘違いしている人を見かけます。
人に何を言われても自説を曲げたことは無いし、曲げない。
このように高らかに
結果を求めるという一点から、ぶれないことは大切なことです。そして、それが信念ならば、ぶれてはいけないのですが、それは先に述べたように人の言に耳を貸さないことではありません。人の言は真摯に受け止め、少なくとも自分の中で、一応の解答は出さなければなりません。
事前察知できたはずのリスクに気付かぬ愚
得てして自分はぶれないと高らかに宣言している人は、自分の主観的な判断に固執し、新たに提供されるパラメーターに目を向けません。反証に目を向けることなく、先行きが行き詰まることを認識できる機会をも無視し、突き進むことになるのです。
自分の殻を破る
結果を求めれば、自分が推し進めようとしている判断を否定する材料には喜んで耳を傾けるものです。何故ならば、解決すべき課題の事前察知に繋がり、そのことは必要に応じての方向転換を可能にするからです。
結果指向を中心に据え、他者の意見に耳を貸す姿勢を保っていれば、時として、これまで自分の認識に無かった新たな次元の存在に気付きます。そのことで、これまでの殻を破って大きな視界を得ることもあるでしょう。
自説或いは自分の認識を否定される機会こそが、自分の殻を破る数少ない可能性の一つだからです。