需要を探す。
需要のないところに需要を創出する。
企業は、需要に応えて供給を行うことで、更には需要を創造して供給を行うことで、利潤を得ます。経済の次元から考えれば、これは是です。そして経済至上主義は経済の次元を至上の価値基準とした考え方です。
現代社会の
今回は需要の創出が必ずしも正しくはないことをお話ししたいと思います。
需要の創出の是非
企業の論理としては、消費者が自身の認識していない潜在的な欲求を満たすべく、消費者の潜在的な需要を見出し、供給するので、そこに何ら問題はないと主張するでしょう。
そして消費者の継続的需要こそが、「需要創造」の正しさの裏付けであり、企業はそれに応えるということだと思います。
この論理には致命的な誤りがあると考えています。
それは、その需要創造及びそれに応えた供給が引き起こす社会の変化が考慮されていないことです。
需要創造によって惹起 された社会の変化
例えば、食品を例にとりましょう。冷凍食品、レトルト食品、インスタント食品など、手軽で便利な食品が増えています。これは何かと忙しい世の中で、時間短縮や節約などの必要に応えているのかもしれません。
一方で、これによって失われたものも数多くあります。
おふくろの味
例えば手間暇掛けて作られていたお弁当が冷凍食品に取って代わられています。「おふくろの味」はどこに行ってしまうのでしょうか。
便利さや手軽さと引き換えに、失われたものがあるのです。
寿司屋の原風景
もう一例を挙げますと、回転寿司の台頭です。回転寿司店が乱立し、いわゆる「寿司屋」は減っているのではないでしょうか。
このことで現代の子供たちが、「寿司屋」という言葉を聞いて思い浮かべる風景は、回転寿司の風景になって来ているのではないでしょうか。寿司屋の原風景が変わってしまうことをどう考えるのかは大切な観点の一つだと思います。
需要の質の検証
そこで需要創造の前に、それが引き起こす社会の変化を考えることも必要なのではないかと思うのです。そして供給がもたらされた後、検証が必要なのではないかと思います。
人は安きに流れる※ので、その「安き」を提供するに際し、事前に十分な検証作業が必要なのではないかと思います。
※「やすきにながれる」は一般に「易きに流れる」です。ここではちょっと意味が違います。念の為。
禁制品需要もどき
単に消費者が望むから、消費者が求めるから提供するという論理は、禁制品の
企業の経済活動の実際を考えると、事前事後の検討は難しいかもしれません。
しかしながら、今回このような記事を書いたのは、需要は、必ずしも供給を是認したこと意味しないということを切り口として提供し、皆様にも考えていただきたいと思ったからです。
次回以降は、冒頭で少し触れました「捨象された他の価値観」についてお話しして行きたいと思います。