食い逃げ世代と喪失した「人を育てるという使命感」

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失われてしまった「人を育てるという使命感」

かつての日本では、若ければ就職活動はなんとでもなる時代でした。採用する企業側も、若手は教育して戦力化するものという考え方が基本にあり、磨いて何とかしてあげようという心意気のようなものがあったと思います。

「マネーの虎」にみる人を育てるという使命感

少し話は逸れますが、2001年から2004年にかけて日本テレビで放映されていたテレビ番組「¥マネーの虎」をご存知でしょうか。

志願者が起業したい事業や叶えたい夢についてプレゼンテーションを行います。「マネーの虎」と呼ばれる現金を持ち寄った起業家らが、各々おのおの志願者の企画に出資するか否かを判断します。

その結果、出資予定額の合計が、志願者の希望金額に到達すれと「マネー成立」となり、志願者は出資金を獲得できるという番組です。

[データ参照:ウィキペデア(wiki)]

マネーの虎も玉石混淆

マネーの虎には様々なタイプが居ります。単に投資機会や事業機会を窺っているように見受けられるマネーの虎がいます。自ら成功体験を絶対視し、強引に志願者に当て嵌めようとするマネーの虎もいます。

志願者の事業分野に必ずしも精通していないにもかかわらず、謙虚に質問するというよりも難癖に近い発言を繰り返すマネーの虎も居ります。

はたまた、興味の中心が事業ではなく、異性として志願者への関心ではないかと疑念を抱かせるマネーの虎も居りました。

経済社会の縮図と言うと大げさですが、様々な投資の動機を垣間見ることができます。

使命感を持ったマネーの虎

その中で目を引くマネーの虎がおりました。それは、志願者を何とか独り立ちできるように導いてあげようという動機をもったマネーの虎です。特に注意を引いたのは株式会社モノリスの岩井良明さんとソフト・オン・デマンド株式会社の高橋がなりさんです。

この二人が際立っていたのは、志願者個人に対する好悪こうおを超越したところからの視点が有り、この志願者は駄目な人間だけれども、ここで自分が何とかしてやらないと人生を誤るなと直感するようなのです。そして、志願者の意向を確認する前に、出資するという肚だけは決めてしまうのです。

しかしながら、闇雲に出資の肚を決めるわけではありません。この志願者は手に負えないと判断した場合や、許せないと感じた場合には、当然に見送ります。もちろん、算盤勘定そろばんかんじょうもあるでしょう。

自分が手を差し伸べるべき使命を感じる瞬間、感じる相手というものがいるのではないかと思うのです。それはえんだと思います。

昔の日本企業

以前は日本企業一般が、出会いの形こそ番組「¥マネーの虎」とは異なりますが、マネーの虎の岩井良明さんや高橋がなりさんのように、新卒や中途で採用した従業員を育て、「何とか一人前にしてやろう」、「何とか一人前にしてやらなければならない」といった心意気や使命感を持っていたと思います。

特に新卒であれば、仕事の経験が無いのは当たり前ですから、仕事に対する心構えから逐一指導、教育したはずです。

食い逃げ世代

今の経営者は、創立されたばかりの新興企業でもなければ、仕事に対する心構えからマナー、業務遂行スキルなどなど、凡そ仕事に携わる上で必要なことを指導、教育されてきたはずです。ところがそのお蔭を被ってきた世代が、即戦力を求め、教育を放棄、拒否しているのです。

次の世代へのバトンタッチを怠るとはどういうつもりなのでしょうか。これは勤務している会社、引いては社会に対する謂わば「食い逃げ」ですから、社会全体にツケが回るのは当然です。

そう言えば、昨今は、これまで以上に経営陣の不正行為、不法行為が目立つ気がします。倫理観の欠如が嘆かれるところですが、人材育成の拒否、放棄と同根どうこんなのではないでしょうか。

人材不足の元凶

教育に関しては、中途採用にも言えることです。育てるという観点が欠落しているため、少し磨けば光る原石を放置され、戦力を労働力を浪費しているのです。

人材不足の元凶の一つは、雇用者側、採用者側の心構えや姿勢にあります。前回記事 ¶ Win-Winの持ついかがわしさ|パラダイムが変わった新しい社会 で触れたように、足りないものをそのまま外から持ってこようというのは過去のパラダイムです。

望まれる「人を育てる経営」の復活

新卒採用なり中途採用なりで人材を登用し、必要な形に育て上げるという従来型の人材活用が望まれます。育て上げること、教育することで、従業員を独り立ちさせ、社会全体の労働力が量においても質において向上します。

その結果、社会全体の所得が上昇し、経済の安定に資するのです。そして、社会自体も安定し、成熟したものになっていくことは言うまでもありません。

合成の誤謬ごびゅうにすらなっていない!

問題を抱え過ぎているとも言える現代社会に鑑みれば、マクロ的に成功しているとは絶対に言えません。

してや、近視眼的な人事政策で、企業も、本来ならば得べかりしパフォーマンスが得られていないという意味で、マイクロ(ミクロ)的に成功しているとも言えないのです。

有るものを育てもせず、ただ食べ続ける今日の日本企業は、過去の資産を食い潰していると言って良いでしょう。

「人を育てる経営」復活の鍵は価値観の修復

社会に蔓延はびこる他人に対する無関心を解消しなければなりません。

他者の存在しない現代日本人

極論すると現代日本人にとって、他者が存在しないのではないかという疑念も浮かびます。人の痛みが分からなくなっているように感じられるのです。

他者が存在しないため、存在しないが言い過ぎならば、他者が意識されないために行われる不作法を、改めることが取り掛かりです。当たり前の、周りに対する気遣い、マナーといったものを守る社会を取り戻さなければなりません。

情けは人の為ならず

「不当な行為は、社会の混乱を招き、いずれは自分に返ってくる」という従来の日本人ならば、ごく当たり前に理解していたことを再認識する必要があるでしょう。

自分たちのしていることが分かっていない

自分が他人に与える影響というものをもっと真摯に見つめなければなりません。そうすれば、食い逃げ世代の行動も自ずと幾許いくばくかは正されるのではないでしょうか。

要するに「食い逃げ世代は、自分たちのしていることが分かっていない」のです。