Win-Winの持ついかがわしさ|パラダイムが変わった新しい社会

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疑う

経営を考える上でのパラダイムは大きく変りました。

Man muss schon ein Meer sein, um einen schmutzigen Strom aufnehmen zu können, ohne unrein zu werden.Also sprach Zarathustra (Friedrich Nietzsche)

人は、不純になることなく汚れた流れを受け入れることの出来る海であらねばならない。[ツァラトゥストラかく語りき(フリードリヒ ニーチェ)](拙訳)

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大きく変わった経営のパラダイム

無限の浄化能力を誇った海

ツァラトゥストラの言葉にある海から看て取れることは、少なくとも19世紀には、海は汚水を受け入れても、浄化され、けがれることが無い存在であったということです。

当時は、海の浄化能力は無限大と見られていたのです。

20世紀に入ってからは、海は汚水によって汚染される存在となりました。海洋汚染も深刻になりました。

この海に象徴される基本的な考え方の変化が、今回の主題です。

無限大から有限に

従来は、組織規模にかかわらず、環境における諸要素を無限大と考えていた嫌いがあります。

個々の経営主体の行動は、自己の取り巻く環境に影響を与えないという想定です。

例えば魚介を捕っても水産資源は枯渇こかつしない。鉱物を掘っても鉱物資源は枯渇こかつしない。

そういった前提です。

現代では、流石に水産資源や鉱物資源が有限であることが意識されています。

しかしながら、まだまだ個々の行動が自己を取り巻く環境に与える影響を十分に認識しているとは言い難い状況にあると言えるでしょう。

不足を外から補う発想は過去のパラダイム

不足しているものを外から取り入れようという考え方は、外に必要な分だけ供給があるという前提に基づきます。

外国から移民を受け入れることで労働力を確保しようという考え方が跋扈ばっこしているようですが、これも必要なだけ移民があるという前提に基づくのでしょう。

労働力の確保という理由で移民を受け入れることに反対なのですが、これには他にも理由があります。

本題から外れるので、軽く触れるに留めますが、欧米のようなローコンテクストの文化と異なり、日本はハイコンテクストの文化であり、移民を受け入れることに文化的問題が大きくのしかかってくるからです。日本はドイツのようには行きません。

話を戻します。

人を育てなくなった日本企業

不足を外から補うという発想は過去のパラダイムであるのにもかかわらず、人事政策は逆行しています。例えば、新卒の就職難にそれが現れています。

現代では、即戦力を求め、即戦力が不足しています。求職者がいても、企業は人を育てるつもりが無いので、空席のまま採用しないのです。

初めは誰もが新卒ですし、新卒でなくても少し時間を掛ければ戦力化する人材は世にあふれています。

余剰は外へ放り出す発想が追加

一方で、近年では不足を外から補う発想に加え、余剰を外に放り出す発想も生まれました。

典型的なのは、雇用です。

これも景気変動により、労働力が不要になると、簡単に賃金削減やリストラクチャリング(リストラ)と称した雇用調整を行います。

このことが、景気を更に悪化させます。収入が減ったり、失業すれば、社会全体の購買力が衰え、マーケットのパイそのものが小さくなっていくからです。

ここに見られるのも、経営主体が自らの行動が自己を取り巻く環境に与える影響を十分に考慮していないということです。

現代の強固な身分制度

現代の雇用環境では、正社員、契約社員、パート、アルバイト、嘱託社員、派遣社員と非常に事細かに待遇を設けています。

非正規雇用が38%というデータもあります。(最新のデータでは40%を超えたようです。)

自らが望んで、派遣社員になっているのなら良いのですが、選択の余地がなく就業しているようです。

派遣社員でも正社員でも同じ仕事を担っていることも多く、派遣社員は正社員に比べ、仕事に対して気安さが無く、雇用に対する危機感があり、きちんと仕事をしていることが多いです。

現代版身分制度と言っても過言ではないでしょう。

この身分制度を駆使することで狡猾こうかつに雇用調整を行っているのです。

企業の社会的責任

経営主体個々の行動が、自らの経営環境に影響を与えるという新しいパラダイムの下では、企業は社会全体の「人材」つまりヒト、モノ、カネ、チエで構成される経営資源の筆頭のヒトの育成にも責任を負うのです。

望まれる「社会経営者」の誕生

所与の労働力を無尽蔵に取り入れるという過去のパラダイムに基づく経営が許された時代は終わりました。これからは、企業イメージ向上のための見せかけのCSRではなく、「社会経営者」としての関与が求められます。

社会的存在を賭してのengagéアンガジェ(積極的活動)が求められるのです。

世に言うWin-Winのいかがわしさ

Win-Winでは、当事者双方に利益をもたらすという考え方ですが、これでは片手落ちです。自己を取り巻く環境、つまり社会全体にも利益をもたらすという前提が欠けてはなりません。

当事者にしか利益をもたらさない取引では悪党と同じ

当事者間でWin-Winが成立したとしても、社会に悪影響をもたらすような取引では、社会に対して盗みに入ったも同然です。

自己の行動が環境に影響を与えないという従来のパラダイムであれば、当事者間のWin-Winで足りるとしても仕方がないのかもしれません。

現代の経営者の使命

しかしながら、経営主体個々の行動が、自らの経営環境に影響を与えるという新しいパラダイムの下では、経営環境全体も含めたWin-Winを模索することが、経営者の使命なのです。