24時間営業は行き過ぎ
およそ20年程昔に遡ります。
ドイツ語を習得したくて、フランクフルト(Frankfurt am Main)に居りました。当時、日本からの飛行機は、全てフランクフルトに乗り入れていましたので、日本に最も近いドイツと言えたかもしれません。
フランクフルトには、
驚いたのは、平日しか日曜日には営業していないのです。他のお店もそうです。開いているのは飲食店くらいでした。
※ 確認のために調べたところ「閉店法」という法律があるようです。
※ 参照:ドイツにおける「閉店法」の歴史と緩和の動き
ドイツでは人々はいつ買い物をするのだろう。
などと思いながら、街を歩き回った記憶があります。初めは不便だと思ったのですが、実はこれが極めて理にかなっていることが分かりました。
微視的視点 と巨視的視点 でみる人材問題
自分で店舗を経営することを考えてください。
与えられた従業員数が同じで、労働時間も同じだとします。営業時間内に必要な人数を考えると、自ずと営業できる時間は決まってきます。これが仮に平日週5日で9時半から20時と仮定します。
一店舗だけで見た場合
さてここで、営業時間を増やそうとした場合、時間当りの人数を減らすか、人数を増やすことが必要になります。(もちろん業務の効率化などで、必要人数の増減などはありえますが、その場合、そもそもの平日週5日9時半から20時での必要人数も同様に減るので、そこは既に効率化されていると仮定します。)
ここで時間当りの人数が減ることは、サービスの低下に繋がるので、質を維持しようとすれば、人数を増やす必要が出てきます。店舗の経営という意味では、営業時間を増やし、不足分の人数を採用すれば、無事解決です。
複数店舗から社会全体で見た場合
これはあくまでも一店舗だけで考えたので一見、問題がなさそうに見えます。一方で、社会全体としてみた場合どうでしょうか。一店舗では、足りない人は、外から不足分を採用すれば良いとなりました。しかしながら、複数店舗、更には社会全体としてみた場合、どこかの仕事に従事している人を連れてくることになります。
仮に失業者がこの仕事に当たるとしても、営業時間が増えたことにより、事業そのものの付加価値が、そのコストに見合うだけ上昇したかといえば、疑問が残ります。それに相応しい人材が確保できるかどうかの問題もあります。
利便性と生産性はトレードオフ!?
仮に平日週5日9時半から20時(以下、「通常営業時間」と呼びます。)で営業したといたしましょう通常営業時間での売上を100として、コストが70だとします。この場合、利益は30、利益率は30%になります。
一方、営業時間を延ばして営業したとします。(以下「延長営業時間」と呼びます。)延長営業時間での売上が、仮に売上125として、コストが90だとします。この場合、利益は35、利益率は28%になります。
通常営業時間から延長営業時間にしたことで、利益は、30→35と増えたものの、利益率は30%→28%と低下しています。ここの数字はあくまでもカラクリを見せるために作ったシミュレーションですが、これが24時間営業などに象徴される、長時間営業店舗の実情ではないかと思います。
論旨から逸れるので詳述は避けますが、深夜営業などでは、店舗に1人など、売上に見合うコストに抑えているという反論が有るかもしれません。ところが保安上の問題など、十分な人員配備がなされていないと見られます。つまり、適切な経営がなされているとは言い難く、本来ならば、もっとコストが掛かるものだと見るのが妥当です。
利便性の追求に因る生産性の低下
つまり、現代社会での問題のひとつに、利便性を追及するあまり、生産性が下がっているということが挙げられるのではないかということです。
仮に飲食店であれば、人の一日の食事の回数は決まっています。すると食べに行く回数の上限はある程度決まって来ます。利便性による購買量の増加には上限があると思うのです。これは他の品物などでも言えることだと思います。
社会の生産性と労働者の賃金を犠牲にし、過度の利便性がもたらされ、貧困、ワーキングプアが誕生した
マーケットのパイ自体がそれほど大きくならないのに、その僅かな上積みを取りに行くことで、利益率が下がります。簡単に言えば、需要を満たすために、必要以上の労働者が当てられるということです。結果、賃金は低下し、労働者にしわ寄せが行きます。そしてこの賃金低下は、社会全体の購買力を低下させます。負のスパイラル(渦巻線、循環)です。企業の経済行動そのものに問題があると考えます。
100人の村
「もし社会が100人の村だったら」と想像すると分かりやすいかもしれません。あなたは村長さんです。100人の村人から何人を、営業時間を延ばすため、24時間営業にするために割きたいでしょうか。多少の不便はあっても、各人が付加価値の高い仕事に従事した方が、各人の賃金も多くなり、村全体としての利益も大きくなり、豊かになると考えるのではないでしょうか。
不必要が更なる不必要を生む
これまで、無ければ、明日まで我慢していたもの、若しくは無しで済ませていたものを24時間365日、いつでも、買うことが出来るようになりました。それは社会としての生産性を犠牲にし、労働者の賃金を圧縮することで、もたらした利便性だと思います。そして、24時間営業や深夜営業といった長時間営業は、更なる新しい24時間営業や深夜営業を生み出しています。
貧困、ワーキングプアをもたらす原因のひとつとして、このような過度の「利便性の追求」があるのではないでしょうか。