広報・IRでは嘘にならない範囲で表現を加減
広報(PR:Public Relations)やIR(Investor Relations:投資家向け広報)などの仕事に従事していると良く分かることなのですが、ある事実を発信する時に、どう発信したいかによって表現や内容が大きく変わってきます。
誠実に事実を有りのままに伝えようとする場合と、何か特定の意図を持って伝えようとする場合では、伝えられた情報からは、異なった事実であるかのように受け取られます。嘘にならない範囲で、表現に強弱や
「嘘にならない範囲」が曲者
[同節 平成28年12月5日追記]
本当のところ嘘にならない範囲というのが曲者です。
実際には嘘をついていることと意味に於いては同じなのですが、敢えて曲解を招く表現を採ったの場合には、詰問された場合には、一応の裏付けとしての事実を挙げることが可能です。
判断が歪むようにではありますが、事実を取捨、或いは
悪質もより高度になると、あたかも真実であるかのように平然と振る舞います。その場合、事実関係を知る者にとっては、情報発信者が正気なのかどうか疑いたくなることでしょう。人格障害、或いは、精神障害ででも無ければ、真実から離れて一貫して振る舞うのには困難が伴うからです。
開示方針によって、表現が変わり、情報が変わる
卑近なところで見てみることとして、福島第一原子力発電所での事故における東京電力の開示方針を例に考えてみましょう。開示方針は、大きく分けて次の3つが挙げられます。
- 社会的責任に鑑み、有りのままの事実を伝える
- 会社存続や組織防衛を優先し、可能な限りの事実を伝える
- 自社にとって一番利する方法で伝える
1.では、放射性物質や放射線が漏れているわけですから、社会として対応や対策が必要です。そのためにも、全てを包み隠さず伝えようという態度で、これが
2.では、多少の誠実さは見られるものの利己的な点が見られます。事の重大性に鑑みれば、無責任とも言えます。情報開示が二転三転することが見られるのは、発表された内容にそぐわない事実が発覚することなどが理由です。
多かれ少なかれ、このような要素を持つ開示方針の企業がほとんどではないでしょうか。
3.では、あまりに利己的です。時として事実とは異なることを、臆面もなく平気で発表することもあります。これが酷くなると、個人で言えば、人格障害です。
一般的に言えば、自己の内的現実と、外界(外側の世界)とは、事実(真実)を拠り所として、コミュニケーションが成立している(取れる)のですが、その拠り所が失われているということです。
都合に合わせて
過去記事( ¶ STAP細胞の小保方さんに思う現代日本に増えた人種)に記したのは、現代日本で、この
総括しますと、これら3つの開示方針のいずれかに従えば、同じ事実に基づきながらも表現内容は、残りの2つに従った場合とは、大きく変わってきます。
情報発信者の姿勢、能力、価値観、理解度によって表現が変わり、情報が変わる
しかしながら、表現が変わってくる理由はこれだけではありません。
伝え手の表現する対象に対する価値観や理解度も
これも冒頭の「ある事実を発信する時に、どう発信したいかによって表現が全く変わってきます。」に含まれる意味内容です。つまり、理解度が高くなければ、重要な情報でも、「伝えたい」「伝えなければならない」とは思わないのです。
意図的に消化不良を起こす
企業としてはこれを利用する手立ても考えられます。それは、敢えて伝える情報に無知であったり、ナイーブであったりする担当者を配属するのです。結果として、情報開示にあたり、担当者の意図とは裏腹に、正確な情報が伝わらないことが起こります。企業にとって、これが好都合な場合があります。勿論、情報開示の姿勢としては、不誠実な態度です。
企業としては情報開示の役割を担うに相応しい人材を配属することに責任があります。裏を返せば、情報開示に配属されている人材を見れば、その企業の情報開示に対する姿勢を見通すことができます。
コミュニケーション
情報は、同じ事実を基に発信されるとしても、発信者の意図、理解度、価値観、利害関係、背景などといったさまざまな要因で変質し、姿を変えるものです。正に七変化です。
もたらされた情報にはゆめゆめ油断めさるな!