法的にどうなのかが連呼される社会は最低ライン |foolproof(フールプルーフ)の功罪

法と秩序

foolproofフールプルーフと云う単語があります。fool、つまり馬鹿者、愚か者が納得する、転じて誰にでも扱える、間違い様の無いといった意味になります。

元来、日本ではあまり馴染みの無い考え方で、初めて耳にしたのは記憶を辿るとある記事を読んだ時だと思います。

アメリカでは、取扱説明書がfoolproofを基準としているとし、foolproofを称賛している記事でした。

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foolproofフールプルーフの功罪

foolproofフールプルーフという概念を知った時、とても素晴らしいものに思われました。誰にでも間違いなく使えるようにするという考え方は、全ての人に等しく優しいものに思われたからです。

この概念を知ることで、家電製品などの説明書にある馬鹿馬鹿しい説明、そんな使い方をする人は居ないだろうと思われるような使い方を例示した上での禁止の説明が何故存在するのか理解できます。

子供の頃に初めて見た電気炬燵こたつや電子レンジの取扱説明書でその説明の馬鹿馬鹿しさに驚きを禁じ得なかったことを鮮明に記憶しています。foolproofの概念を知り、その驚きと違和感に説明が付いたと言ったら好いでしょうか。

日本社会の変化

思うに日本社会は元々はfoolproofの真逆の考え方が支配していたのではないかと思います。と申しますのも、今ほど無知に対する居直りは横行せず、知らないことに恥ずかしさを覚える感性が支配的では無かったか。

従来の日本人は知らないで不作法を行うことを恐れたし、例示した家電製品で言えば、可笑しな使い方をする以前に予め良識を働かせた。知恵が足りなければ知恵のあるものに教えを乞うたのではないかと思うのです。

知らないことを良しとしない社会であれば、可笑しな使い方をしたのは本人が愚かで、すべては本人の責任だということになります。※

※ 本人の責任と表現は致しましたが、安易に近頃跋扈している「自己責任論」に繋げて欲しくは無いです。所謂「自己責任論」は至極歪んでいるからです。本題とは異なるので詳述は避けます。

製造者の責任がどうとか、法律的にどうと言う前に、自分の無知を問うのが先というわけです。

具体例を出せば、鉛筆を鼻に突っ込んで血が出た。鉛筆は鼻に突っ込むなと書いてなかったと云ったところで、鼻に突っ込んだ者が馬鹿にされるのは当たり前です。ところが、foolproofが行き過ぎると、鉛筆は筆記以外の目的に使用しないでくださいと明記しなければならないと云った具合になるわけです。

鉛筆を鼻に突っ込むとは馬鹿なことをと思うのは、当然の感性ですが、消費者全般がfoolproofが感性の基礎的水準になれば、どんどんどんどん良識が失われます。現在では鉛筆を鼻に突っ込んで血を出すのと同様のことを平気で行っている嫌いがあります。

歯止め

社会として暗黙の裡に一定の水準が認知された上で、消費者全般がその水準の知識を身に付けるのが当然であるという基本的合意コンセンサスが無ければ、消費者全般の知的水準も下がって行きます。

取扱説明書に書いてないから、取扱説明書が悪い。法律に定められていないから、法律が悪い。自分に非は無いという考え方はとても危険です。

鴨造才蔵かもつくりさいぞう

このような考え方をする人は、基本的に自分の理解や知識を深めるという思考に有りませんから、保護する法律や慣習ができ上がっていない分野では、法の網目をくぐって悪さをする悪党らの恰好のカモになります

自分では何ら理解や知識を深める努力をせず、foolproofの名を借りて楽をしてきたのだから当然の報いです。

穿った見方をすれば、foolproofとは、馬鹿者、愚か者はそのままで好いですよ。馬鹿や愚か者の儘で構いませんよ、そんなあなたにも分かるようにして差し上げますから。安心して馬鹿なままで居てください。これがfoolproofです。

冒頭に触れたように従来の日本は異なった価値観でした。

知らないと恥をかく

「知らないと(将来)恥をかくよ」とはしばしば言われた決まり文句フレーズです。

それを聞いて皆が皆、知ろうと努力したとは申しません。ただ知らぬは恥という感性が少なからず根付いていたというところが大切です。

従って、取り決めになっていないとか、法律に載っていないと云った理由で居直っても、良識のある人々から相手にはされなかったということです。

もっと言えば、相手にされないから、居直れなかったということです。

ところが現代の日本にはいつの間にかfoolproofが根付いています。その証左として、マスコミは馬鹿の一つ覚えのように、「法律的には」を連呼しています。

従来の日本人は、法律は秩序のほんの一部を掠め取って取り決められたものであることを、肚で知っていたのです。

だから法律的にはそうかもしれないが、その通りには行かないんだよと言った表現がしばしば取られました。


debt of honorデット オブ オナー

近頃は法律が全ての価値観と勘違いしているように思われる人もいるので、敢えて説明を加えておきます。

debt of honorデット オブ オナーという言葉があります。特に賭け事での負債のことで、法律的には禁じられているので、法的には支払い義務の無い負債のことです。欧米ではこれを支払わないことは紳士協定に反すると言います。

日本でも、例えばごく親しい仲間内で、ゴルフで1打100円の賭けゴルフをやった。10打負けて1000円の負債ができた。

これを法律的に問題があるから、支払う義務は無いんだなどと言えば、無粋ですし、紳士協定に反するでしょう。

あくまでも一つの例ですが、決して法律が全てでは無いのです。

法律は(法律用語では無い意味で)悪意の当事者間を裁定するものであって、少なからず人間関係の存在する当事者間に当て嵌めるものではありません。

当事者間の人間関係がより豊かで濃厚であれば、法律より優先するものが、より多くなるのは当然のことなのです。

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