歩きスマホによる事故は未必の故意|「気付かなかった」「不注意だった」で許すな

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歩きスマホ

歩きスマホが社会問題になっています。

いい歳をした大人が、スマートフォンに見入りながら、階段を上がって行く姿などを見かけるとがっかりしてしまいます。

この人は、自分が何かにつまずいて転倒したら、将棋倒しとなり大惨事を引き起こすことも予見できないくらいに視野の狭い、頭の弱い人なのだろうか。そう思うこともしばしばです。

NHK NEWS WEBの記事「ホームで高校生が電車に接触 『歩きスマホ』か」 に触発されました。

今回は、未必の故意という言葉を切り口にお話ししたいと思います。

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未必の故意

未必みひつ故意こいと云う言葉があります。

ウェブで検索してみたところ

未必の故意
確定的に犯罪を行おうとするのではないが、結果的に犯罪行為になってもかまわないと思って犯行に及ぶ際の容疑者の心理状態。殺人事件の場合、明確な殺意がなくても、相手が死ぬ危険性を認識していれば、故意として殺人罪が適用される。(2008-10-02 朝日新聞 朝刊 1総合)[コトバンク

とありました。

更に字義に立ち返るために国語辞典に当たってみますと

未必の故意
行為者が、罪となる事実の発生を積極的に意図したり希望したりしたわけではないまま、その行為からその事実が起こるかも知れないとと思いながら、そうなっても仕方がないと、あえてその危険をおかして行為する心理状態。[岩波国語辞典第六版

とあります。

簡単に言えば、

わざとやったんじゃありません。

は理由にならないということです。

未必の故意についての初めの説明では殺人事件が例に採られていますが、他の事柄でも同様の筈です。

未必の故意としての歩きスマホ

駅のホームで歩いていて不注意に人にぶつかれば、転落事故の恐れがあります。横断歩道で待っている人にぶつかれば、道路に人を押し出してしまうかもしれません。他人に衝突し、死に至らしめてしまえば、業務上過失致死が疑われるでしょう。

一方で、前方が確認できない状態、例えば所謂「歩きスマホ」で他人に衝突し死に至らしめれば、未必の故意として殺人を疑われても仕方が無いのではないでしょうか。

自動車や自転車の運転中も同様です。前方が確認できないができる以上、事故の起こる可能性があることは自覚できる筈です。

音と白杖

また、世の中には目の不自由な人々もおられます。衝突時に被害を受ける可能性、或は被害が大きくなる可能性は高いと言えるでしょう。音と白杖はくじょうが頼みの人の存在を常日頃から念頭に置いて行動しなければなりません。更に音すら頼りにできない、白杖だけが頼みの人も存在するのです。

あなたが惹き起こす結果を明確に理解しておく

ここでは実際の法律がどのように適用されるかを議論したいのではありません。歩きスマホによる転落事故が起こったとしても、蓋然性がいぜんせいが低いものとして殺人の罪には問われないかもしれません。

しかしながら、お伝えしたいことは、あなたの行動が人様に対してどのような影響・結果をもたらすのかということ、そしてその影響・結果がもたらされる仕組みを明確に認識してもらいたいということです。

法律は社会での暫定的な決めごと

仮に法的に殺人罪で裁かれなかったとしても殺人と同様のことをしたと看做し得ることを認識しておきたい、認識しておいて欲しいということです。法律的な観点だけでなく、倫理的な観点からも考える必要があるということ。倫理的にみれば殺人と言えるかもしれないということを念頭に置きたいということです。

法律は、あくまでも暫定的な社会での決め事に過ぎません。法律上の罪と倫理的、或は宗教的な罪は異なります。

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