集客偏重の執筆は控えよ!PVが惹き起こす言葉の暴力

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PVは大事だが・・・

PVとSEO

一般に公開するウェブコンテンツを制作する殆どの場合に意識せざるを得ないこととしてSEO(エスイーオー)があります。SEO即ちSearch Engine Optimizationのことで、検索エンジン最適化などと翻訳されます。

コンテンツ作りの際にSEOを施すことにより検索結果で上位表示し、より多くのPV(Page Views|ページビュー:ページ閲覧数)を獲得しようと試みます。

SEOが問題にならない場合

閉じられたコミュニティのためのウェブコンテンツであれば、コミュニティメンバーにウェブサイト、ウェブページのアドレスURL(URI)を知らせればよいですから、必ずしも検索エンジンの検索結果に上位表示される必要はありません。むしろ目立たない方が良い場合があるくらいでしょう。

一般には重要なSEO

一方で、一般に公開するウェブコンテンツでは、インターネット以外の媒体で周知することも可能ではありますが、検索エンジンによる集客にかかる依存度は著しく高くなります。

当ウェブログ(weblog)を訪問してくださっている皆様の多くも、名詞に刷り込んだURLやメールでの案内や知人からの紹介でお越しいただいた方を除けば、ヤフージャパン(Yahoo Japan)やGoogle(グーグル)などの検索エンジン経由でお越しいただいた方が殆どではないでしょうか。

こうして検索エンジンによる評価の重要度、SEOの重要度は容易に理解できます。

Keywords

SEO対策の一つにkeyword(キーワード)の選定があります。検索は多くの場合、単語や複合語、複数単語の組み合わせ、文章などで行われることからも重要性は容易に想像できます。

キーワードがコンテンツを作る

キーワードが選定されるということは、作成されるコンテンツがキーワードによって制約を受けるということです。

例えば「福永晶」をキーワードに選んでしまうと、福永晶について言及せざるを得ません。キーワードに選ぶということはその言葉について少なからず触れるということを意味します。

キーワードの選定

ではどのような言葉をキーワードに選びたいでしょうか。

アクセスを数多く集めたいと考えれば、当然によく検索される言葉を選びたいでしょう。

従って「福永晶」を選ぶよりは、例えば池上彰さんを選び、「池上彰」をキーワードとした方が検索回数に恵まれるわけです。今話題になっている、或いはこれから話題になりそうなキーワードや知名度の高いキーワードを選ぶのが検索回数の多寡について有利であることは特に説明はいらないでしょう。

今が旬

こうして見てくると、何らかの事件やスキャンダルといったゴシップの種になる人が、繰り返し、それも必要以上に思われるくらいに採り上げられるのも分かります。今が旬の人物という訳です。

アクセスを集める為の方策が、直接的にコンテンツに影響を与えることはウェブコンテンツの特徴です。

他の媒体ではもっと緩やか

雑誌やニュース番組といった媒体でも、勿論、採り上げる題材によって、購買数、閲覧数、視聴数といった謂わばアクセス数は増減しますが、新聞・雑誌やニュース番組といったパッケージとしてのアクセス数が見込めます。

更に本質的な違いとしては、目に触れる、耳に触れる前段階には、そのコンテンツそのものの読者や視聴者といったユーザーを増やすという観点での制約がコンテンツに加わりません。次回以降には影響を及ぼしますが、(今回の)コンテンツそのものは、今回のアクセス数には影響しないのです。

雑誌は買われてしまえば、そしてニュース番組が一旦視聴されれば、少なくともコンテンツのタイトルが目に触れる機会に恵まれます。

集客つまりユーザーの獲得が検索キーワード頼みの部分が大きいウェブ媒体と比べ、目に触れる機会がコンテンツに依存しない部分で大きく見込まれます。

キーワードに縛られないコンテンツ作り

勿論、最終的に記事のタイトルで読むか読まないかを決められるという点では、コンテンツタイトルの影響はあります。しかしながら、その判断まで漕ぎ着ける為に、必ずしも旬のキーワードに拘る必要はなく、興味を引く記事さえ書ければ目に触れる機会は得られるのです。

SEOを意識したコンテンツ作りと異なり、SEO的な意味でキーワードに縛られることなく、コンテンツの質を意識した言葉選びが可能となります。

また一般に、読む気で買った雑誌では、ウェブコンテンツに比べ、読まれるためのハードルはぐっと低くなるでしょう。点けられたテレビのニュース番組も同様でしょう。

ウェブコンテンツはどうしてもSEOに重点を置く

一方で、ウェブコンテンツでは、キーワードによって検索される時点で、話題(トピック)が限定されます。つまり、検索ワードを含むトピックであるということです。勿論、ポータルサイトなどのブランド力で、雑誌などのように訪問してから、読む読まないを決めてもらうこともできますが、それができるのは一部の書き手だけでしょう。仮にそれができたとしても検索エンジンによる直接の自記事への流入増は十分に魅力的です。物書きの性で、可能な限りたくさんの読者に読んでもらいたいのです。

一般的に言ってウェブ閲覧者(ユーザー)を検索結果から流入させることは、ウェブサイト運営者にとって極めて魅力的なことです。しかもその内の一定数は再訪者(リピーター)になる可能性があります。

アクセスを集めることを重視するならば、旬のキーワードを選び、新規訪問者を増やすこと。その一方で、コンテンツの質を高め、訪問者の再訪を促すことが大切になります。

こうして旬のキーワードを巡ってアクセス数争奪戦が惹起されます。

このアクセス争奪戦が曲者なのです。

コンテンツ作成ではSEOが全てでは無い

ところが「コンテンツの質を高め・・・」の部分が置き去りにされてしまうのです。

何か新しい視点や意味といった付加価値があれば良いのですが、何ら新たな意見も主張も見識も洞察もない。何のために、何を目的として書かれたのか分からない。アクセスを集める為のキーワードありきで作成された他記事の書き換えに過ぎないコンテンツが乱造される傾向が生まれるのです。

更に酷いことに、話題によっては相も変わらない内容が、必要以上に繰り返し繰り返し取り上げられるという現象が起きます。

これは「コンテンツありき」でキーワードが選定されるのではなく、「キーワードありき」でコンテンツが作成されることの弊害です。

他人の不幸は蜜の味

他人の不幸は蜜の味とばかりに、特定のゴシップが節度なく繰り返し取り上げられる記事を見て閉口させられることが多くなったのもこのためです。この記事は何のために書かれたのか。誰のために書かれたのか。この記事はそもそも必要なのかと疑問が生じることは少なくないでしょう。過去記事 >> 何故こうも雑音で鬱陶しい世の中になったのか|無責任な発言が社会の不穏を招く で触れた意味での記事を書いた意図が見えないということです。

発信すべき何かがあるから書くのでは無く、発信したらアクセスされる何かを求めて記事を書いているということです。

その為、一度人々が関心を持ったテーマを執拗に取り上げるという傾向が生まれます。

言葉の暴力

バッシング記事が、従来に比べ長く取り上げられ続けることもここに理由があるでしょう。

特定の政治家や特定の芸能人が、必要以上と思われるほどにバッシングされ続けるのを見ることは珍しくなくなりました。あたかも言葉によるリンチ(私刑)の様相です。叩かれ過ぎではないかといった記事すら出現する始末です。

こちらも執拗に取り上げられる裏にアクセス数争奪戦があります。

豊富な検索回数

人々の関心が高いということは、検索回数も多いということで、勿論その分、記事(コンテンツ)も多いのですが、ロングテールも含めて検索結果に表示される可能性が高くなるということです。

価値の無いコンテンツの乱造

表現することの敷居が高くないことは良いことですが、読者に価値をもたらすことは大切です。

何も訴えることのない記事が乱造されることは、読者にとっては迷惑です。

これについては、検索エンジン側も対策を講じていて、Googleはしばしば検索エンジンのアップデートを行っていて、価値の無いコンテンツの検索順位を下げるという措置を取っています。

無駄話ばかりで解決策が全く示されなかったブログ

検索エンジンのアップデートで消えた!

かつてブログ作成に際し、WordPress(ワードプレス)というCMS(Content Management System:コンテンツマネジメントシステム)についての調べ物をしていると、決まって検索結果に現れていたブログがありました。

尤もらしいことを言って置いて、結論は常にはぐらかすというあまりに酷いものでした。真面目に最後まで読まされて、いつも何も得るところが無かったのです。

検索結果をクリックしてその運営者の顔写真に行き着くと、ほとほとうんざりしたものでした。顔を覚えてからは、クリックしてしまったら直ぐに戻るようになりましたが、それでもとても鬱陶しく感じておりました。

幸いにして、そのブログはGoogleのお蔭か検索時に全く見かけなくなりました。

今でもサイトを訪問してうんざりすることは多々あります。何のために書いたのか、単にトラフィックを求めて書いたのだろうかと見られる記事が散見されるからです。要するに先に触れたように、記事を書いた意図が見えないということです。

質に勝る紙媒体

具体的に名称を挙げることは差し控えますが、それなりのニュース系、経済系の新聞や雑誌などを出版している企業が、online(オンライン)と名前の後に付くだけで、粗雑な記事を掲載していることに驚きを禁じ得ません。紙媒体(雑誌)とウェブ媒体(~online)との読者層の違いを反映しているとでも言うのでしょうか。

ウェブ媒体は紙媒体に取って代わることは、利便性に於いては可能だとしても、質に於いてはまだまだできないものなのかなと思います。

啓発を狙って、しばしば未だに本を読めと言われることが多いのも、ウェブ媒体と紙媒体の情報や文章の質の違いが歴然として存在することの証左でしょう。単に保守的なだけではないと思います。

ウェブ媒体も記事を執筆するに当たっては、紙媒体と同様に新たに発信すべきものは何かを意識することが大切です。何か新しい価値が無ければ、記事に存在意義はありません。自戒の念を込めて締めくくりたいと思います。