恥が担保の時代
日本は、西洋の「罪の文化」と対比して「恥の文化」と言われてきました。現に、内なる心の声に恥を意識し、恥を忍んで生きるならばと死を選んだ人たちもいました。
子供の頃、剣道の師匠に聞いた話なのですが、昔、侍がお金を借りる時、「返せなかったらお笑いください。」と言って融通してもらったものだと聞きました。これは笑われることが恥であり、恥が十分な担保となるということです。
気位
そう、
一方で現代社会はどうでしょうか。もちろん今も気位の高い人はたくさん居られると思いますが、総じて実利的な価値観が支配しているように思われるのです。
実利に魂を売り渡す現代人
それは、何かを行う時、事実性や善悪、倫理、感情、道徳、人間性その他もろもろは無視し、最終的に一番実入りの大きな、自分に有利な選択肢を選ぶことが多いのではないかと思われるからです。
最近よく報道されているSTAP細胞の小保方さんの対応もそのような類型の1例ではないかと思われました。
論文のようなものの性質上、確認は何度もなされるはずであるし、画像の取り違えなどありえない話だと思います。
故意だと思いますが、仮に過失だとしても、重過失です。恐らく旧来の日本人の感覚ならば、仮に過失だとしても、恥を感じ、それは研究者としてのものであったり、人間としてのものであったりすると思いますが、引責したと思います。
みんなの党の渡辺喜美氏や元東京都知事の猪瀬直樹氏の政治資金問題などでも、可能な限り
板挟み
現代社会そのものの暗部でもあると思うので、企業に属していれば、企業内から求められることがあります。会社不祥事など時、自殺者が出てしまったりするのは、実利的な価値観を貫くことが出来ないまともな感性の持ち主が、会社と自己の信じる価値観とで板ばさみに遭い、いたたまれなくなってしまうからという場合も多いのではないでしょうか。
一方で、事実・現実とのつながりを意識しないで、実利に忠実な人々というのは、非常に手強いです。
まともならば、良心の
これは