「英語を学習するということ」と銘打ちましたが、外国語学習一般、
学校教育や受験勉強、或いは語学学校を通じて長く勉強していても、「言葉を学ぶ」ということがどういうことであるか、理解していない人は驚くほど多く感じられます。
驚きを覚えた経験を素材としてお話ししたいと思います。
英単語を覚えるということ
英単語を覚えるとは、どういうことか説明してくださいと言ったら、どう説明しますか。
恐らくは、意味を暗記すること、それもお経式※の「apple-林檎-apple-林檎-apple-林檎」と繰り返し、日本語の意味を覚えていくことであると考えて、それを言葉にして説明するのではないでしょうか。
※ お経式については、¶ 伸び悩むのには理由がある|英語習得法に学ぶ の中で触れました。
英単語を覚える初めの一歩としては、理解できるのですが、英単語を覚えるとはどういうことかという説明をする内容としては全く以って不十分な内容です。
意味不明な「英単語の意味が日本語として変」
英単語を覚えることを、意味する日本語を覚えて行くことだと思いこんでいる人が多いことに気付いたのは、学生時代の或る出来事です。
或る学生(と言っても当時の私も学生で、その学生とは先輩でした)がサークル仲間たちに映画の題名である「ネゴシエーター」ってどういう意味かと尋ねました。
negotiateが「交渉する」という意味だから、negotiatorは交渉者ではないかと答えたところ、件の学生は、
「交渉者」では日本語として変だから、そんな意味であるはずがないよ。
と返って来たのです。
これには酷く驚きました。この際、「交渉者」が日本語としてどうかは置いておきます。
問題は、「英単語の訳語が日本語として変だから、英単語がその意味で有り得ない」という主張です。
「英単語を覚える」は「訳語を覚える」ではない
英単語を覚えるということは、英単語と訳語を覚えることではありません。そもそも英単語と日本語の単語が
近似的に対応する訳語を手掛かりに、その英単語の意味の広がりを捉えて行くことです。
具体的にお話ししましょう。
例文集め
以前、恩師に教わった中に恰好の表現がありますので例示します。
heavy legsとは大根足を意味するそうです。要するに太い脚です。
heavyを単に「重い」と覚えておいただけでは不十分で、名詞を形容している例文をたくさん見ていくこと、つまり用例を集積していくことで、heavyの語感を自分の中に作って行くことができ、heavy legsのheavyが感覚的に分かるようになるのです。
単語習得は母国語でも同様
これは母国語である日本語について考えてみると分りやすいかもしれません。耳慣れない単語を聞きつけた時、初めは知っている単語で説明を受けるでしょう。そして何度も見たり聞いたりすることで文例、用例を集積することで、語感を
これも例示しましょう。
「SNS」は如何でしょうか。アルファベット表記ではありますが、エスエヌエスと読んで違和感なく日本語として使用されている単語と認識して良いですね。
ところが、恐らくあなたも初めて「SNS」という単語を聞いた時には、「何それ!?」と思ったことでしょう。そこで、先ずはSNSがどのようなものなのか聞き知り、そしてmixiやGREEそしてFacebookやツイッター、Google+などといったSNSという諸々の具体的なメディアに触れながら、SNSと云う単語に対する一定のイメージを自らの中に
このように既知の単語を手掛かりに、実際の使用例に触れ、体感し、実感し、体得していくのです。
或いは未だ「SNS」という単語の性格な理解には及ばず、イメージだけで宙ぶらりんにしている状態かもしれません。
これは「SNS」という単語を習得する途上と言って良いでしょう。
既に気付いているかもしれませんが、この過程そのものは、先の英単語「heavy」と異なるところが無いのです。
つまり、「heavy」を理解している状態にせよ、未だ理解する途上にあるにせよ、既知の単語や実際の使用例、文例に触れ、理解を固めて行くということです。
要するに、英語と言わず、外国語の単語も、日本語の単語も、単語そのものの習得過程は同一です。
初めは母国語である日本語を手掛かりに使いますが、慣れれば英英辞典や独独辞典を使用することもできることからも、単語習得の過程は同一であると言えるのです。
外国語の単語習得が母国語とは異なって感じられる理由
冒頭で触れた過去記事の ¶ トロッコと新幹線 でお話ししたように記憶の為の速度の違いから異なったものと感じてしまいがちです。
一般に労力が著しく異なると感じられるからです。
母国語の単語習得も楽ではない
ところが、一方で日本語の単語であっても難しい概念などは、なかなか習得できません。例えば「
※ 読者諸氏の多くにとって、この二つの単語は既知のものかもしれませんね。その場合には、適当によく知らない単語を見つけ、意味を調べ理解するように努めてみてください。そうすれば単語習得のプロセスを改めて体験できるでしょう。
場合によっては英単語の習得より難関かもしれません。
「
※
「何でも読めますか?」
しばしば、外国語を学習しているというと
何でも読めますか?
と質問されることがあります。これはナンセンスです。
そもそも母国語でさえ、何でも読める人はいません。
仮に質問の意図が、母国語と同程度に読めることだとしましょう。母国語と同程度に読めるということは、これまでの人生で経験してきたこと、学んできたこと全てを、該当する外国語で経験し直すことで実現します。極論するとそういうことになります。
従って、例えば高校時代に学んだ数学の内容についても英語なら英語で学び直すくらいでないと、例えば興味を持って特に調べたりしたので無ければ、「漸近線」のような英単語は習得できないでしょう。要するに他の周辺単語やそれに纏わる表現が欠けている状態が普通ということです。
興味に従って分野を選ぶ
従って、そういう意味で、しばしば、外国語を学習する際に、自分の興味のある分野の本を読みなさいと言われるのも理に適っています。
初学の頃は、あらゆる分野を網羅的に学習し、あらゆる分野の語彙に精通したいと考えていましたが、無謀の極みだったということです。
改めて母国語に引きつけて、学んでいる外国語について考えてみてください。興味関心のある分野の語彙には精通しているでしょうけれども、あまり関心のない分野もたくさんあるはずです。外国語でも同様の筈なのです。
ですから、言葉というものは自分自身が使用したい分野で先ずは学び、そこから分野を拡げて行くべきだということです。
意味の世界で繋がる母国語と外国語群
英語は英語、日本語は日本語と一見きちんと切り分けられているように見えて、意味の世界では繋がっています。
ですから、日本語で何か書いていても、他の言語では存在していて日本語には存在していない概念を表現する単語を使いたくなることがあります。
例えば、
※ 当ブログの過去記事で、例えば、¶ なぜ場違いな発言をしてしまうのかで、Kontext或いはコンテクストと記述しているのはその為です。
外国語が混在する文章の作法
そういった場合は、日本語の文章の中に外国語が原語、或いはカタカナ表記で登場するのは止むを得ない部分があります。
勿論、必然性が無いのにもかかわらず、やたらに英語など外国語を混在させることは感心しません。
意味の世界では繋がっているものの表現の様式としては単一の言語で完結させるのが原則だからです。
でき得る限り書いている文章の言語の中で、なんとかやりくりすべきです。
日本語なら日本語、英語なら英語で完結を目指す。そしてそれでも止むを得ず他の言語を混在させる場合には、その文章の言葉だけで理解できる配慮をするということです。
ゲーテの言葉
Wer fremde Sprachen nicht kennt, weiß nichts von seiner eigenen.
外国語を知らないものは、自分の言葉について何も知らない。
Maximen und Reflexionen
箴言と省察
Johann Wolfgang von Goethe
ゲーテ
外国語が、「eine fremde Sprache」 ではなく「fremde Sprachen」と複数になっているところに意味があると思います。