昭和には有った失われつつある価値観|欧米的価値観だけでみることの危険

同心暁蘭之介

タイトルから見ると拍子抜けするかもしれませんが、最近見た再放送の古い時代劇の話から始めさせてください。

同心暁蘭之介どうしんあかつきらんのすけ」という時代劇です。

普段はテレビは見ないのですが、帰省の際には、時折、父母との付き合いで時代劇を見ます。

偶々たまたま見た回の内容が、格好の題材になりそうなので、お伝えしたい場面を中心に、掻い摘んでお話します。

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侍の妻の美学

心に焼き付く場面

市井しせいで仕官を願い、夫の就職口を探し回っている浪人の美人妻を、仕官の口を世話すると言葉巧みに騙し、金とみさおを奪うという事件が横行していました。

暁蘭之介は、様子のおかしい見目麗みめうるわわしき女性を見て、事件の存在に気づくのですが、その被害に遭った或る妻の場面です。

実のところ、その妻の夫は、仕官よりも傘張りを生業なりわいとした市井の平和な生活を望んでいました。

ところが、妻は夫に武士であることを望み、夫の仕官先を探しておりました。

そこに付け込んだ大名家につながりを持つ商人が、大名家に紹介すると近寄ります。

仕官にはお金が要るから用立てると言葉巧みに部屋へ誘い込み、操を奪いました。

妻は、質に入れていたかみしもを出して持ち帰るものの、半ば放心状態で帰宅し、仕官が叶うことを夫に伝えます。

妻の様子に異変を感じた夫は、事の仔細を悟り、妻を刀で斬りつけます。

妻は夫に斬られ、

お許しください。

と言葉を残します。

夫は、妻の操を奪った商人を討つべく、裃を着、敵討ちに出かける際、妻に

初めて裃を着るときが、妻の敵討ちになるとは。

と言葉を残します。

それを聞いた妻の断末魔の言葉、

良かった。

あの人は思った通り、武士の心を失っていなかった。

私の思っていた通りの人だった。

妻の美学のポイント

  • 妻が、自分は夫の手によって斬られるべきであり、斬られることを覚悟し、必然の道として受け入れていること
  • 自分の生き様だけでなく、夫の生き様にも自身の誇りを感じていること

だと思います。

※ 「言わずもがな」だとは思いますが、念のために記しました。

かつての日本に有った価値観

古い価値観と感じられるかもしれませんが、wikiの情報によると昭和56年から昭和57年にかけて放送されていた時代劇なので、その頃には少なくとも共感を持って受け入れられたいた価値観だと思います。

恐らく、現代人であれば、このような顛末にはならないとは思うのですが、かつては我々日本人が美学の一つの形として考えていた価値観に基づいた顛末だと思うのです。

命よりも誇り、実利より名誉を重んじて生きてきた時代がここにはあります。

かつて剣道の師匠から聞いた話として、過去記事でも紹介した、
「昔、侍がお金を借りる時、『返せなかったらお笑いください。』と言って融通してもらったのだと聞きました。これは笑われることが恥であり、恥が十分な担保となるということです。」
も同様です。

死して恥をすすぐと言うことです。

「目に見えないもの」の価値の見直し

誇りや価値のために死を選ぶことの是非は別として、敗戦後の日本は、欧米、特に米国の影響を強く受けてきました。それに伴い、プラグマティックな価値観に支配され、価値観が実利的な、刹那的なものに少しずつ移行し続けて来たように思います。

例えば、イスラム文化が理解できないものに感じられるとすれば、その影響が大きいのではないかと思います。

真善美しんぜんびと言う言葉も昔ほど聞かれる機会がないように感じます。

それだけ「目に見えないものの価値」を意識する機会が失われているのだと思います。

誤植修正しました。 正)仕官 誤)士官[平成29年4月3日]