変節に非ず|一貫しているからこそ方針は変わる

高等学校

組織に所属しているとしましょう。

高いloyaltyロイヤリティ(忠誠心)とidentityアイデンティティ(帰属意識)を持って行動する。

この当たり前を実現しようにも、高い士気モラールを持ったメンバーの中にあってさえ、感情的なわだかまりが組織への貢献を阻害することがあります。

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断じて変節へんせつではない

高校時代に遡ります。30年くらい前のことでしょうか。生徒会では文化祭の開催について議論していました。文化祭を開催するか否かについてです。

進学校ということもあってか、三年に一度くらいの開催頻度だったと記憶しています。

今からお話ししたい一人の生徒会の委員は、文化祭開催に反対だったそうです。元々将来の為に、20年後の為に、現在の生徒会を犠牲にするのもむを得ないというちょっと聞いただけでは極端と受け取られる主張していた生徒だと聞きました。その主旨は確認していないので定かではありません。

いずれにせよちょっと極端な主張をするとして、高校内では比較的よく知られた生徒で、生徒会の活動にしても、部活動にしても真面目に取り組んでいることは間違いないと感じていました。

目立つものですから、揶揄やゆされることもしばしばあったようです。

彼の意に反して、生徒会の決議では、文化祭の開催に決定しました。

その決定を受けて、彼は文化祭の実行委員に立候補したのです。

あれだけ開催に反対しておきながら、実行委員に立候補するとはどういうことだ。

当然のように、このような声を耳にしました。

あなたは彼の行動をどのように感じますか。

無いことを期待していないか

実行委員に相応ふさしくないと思うならば、彼がどのような行動をとれば、文化祭開催に反対票を投じた生徒会委員に相応しいと考えているかを見つめてみることです。

文化祭開催に関与しないことが望まれることでしょうか。それとも一般生徒としての文化祭参加に留めるべきなのでしょうか。例えば、所属するクラスや所属する部活動での参加に限定すべきなのでしょうか。

そもそも何故、文化祭開催に反対していた人が、文化祭運営に関与することは相応しく無いことなのでしょうか。

感情に流されると人を不当な境遇に押しやる

感情的なものに押し流されずに、彼がどう振る舞えば適切と看做すことができるのかをきちんと考えてみることが必要です。

なぜならば感情的な反応の表明というものは、相手のことをほとんど考えていない結果だからです。

しばしば見られる最も不当な状況は、責を問われる必然性は無いのに、感情的な反応に取り囲まれて、どう振る舞ってもケチがつく状態です。

明確に自覚していることは稀でしょうけれども、多くの人が行動を起こすことを躊躇ためらう理由の一つでもあるのではないでしょうか。

落ち度なき合理的行動そのものは擁護ようごされなければならない

彼は文化祭に反対票を投じた。これは彼の見解で、とがめられるべきことはありません。

では、文化祭開催委員が相応ふさわしくないとして、文化祭に関与しないことが望まれるのでしょうか。

制約条件が変化すれば答えは変わる

「経営について考える」での主題の一つでもある、「制約された条件下で最適な解を導く」つまり経営課題解決の一般的な表現に他ならないのですが、これに照らした場合、どうでしょうか。

文化祭開催を議論している段階では、将来を含めた生徒会の利益を考えた時、文化祭開催は見合わせた方が良いと判断した。ところが文化祭開催は決議採択された。

つまり所与の条件、制約された条件は変わりました。文化祭は開催されるのです。

その時、将来を含めた生徒会の利益を考えた場合、文化祭の成功が望ましいと判断した。

それならば文化祭に積極的に関与するのは合理的です。

感情的なわだかまりをものともせず、文化祭開催委員に立候補するに至った。

このことは感情的な反発は予期したものの自己の判断に忠実に振る舞ったと言えるでしょう。

見解の相違と行動についての判断は別物

感覚的に捉えるとすると、戦国時代の武将を想像すると分かり易いかもしれません。

戦に敗北し、自らが仕える主君は討ち死にした。そして武将は捕らえられた。追い腹を切らず、敵として戦った相手に仕えることになりました。

その場合には、敵将とはいえ、武将は武将。相応の格で受け入れられるものです。

つまり、生徒会の委員格の人材であれば、文化祭開催に決まれば、文化祭実行委員になったとしてもなんら不思議はない人物だということです。

山本五十六

開戦すれば敗北することが分っており、戦争には反対という見解を持っていた山本五十六が、戦争になった場合は山本自らが飛行機や潜水艦に乗って1年から1年半は存分に暴れてみせる(生出寿『勝つ司令部負ける司令部』pp. 31-32)(出典:wiki)の発言が分かり易いかもしれません。

時の山本五十六が、「戦争には反対だが、開戦が決まれば死力を尽くす」ということであれば、くだんの彼は、文化祭開催には反対だが、開催が決まれば全力を尽くすということです。

従って、文化祭を開催すべきか否かの是非の判断の問題とどう彼が振る舞っていくべきかは別々に考えなければならないということです。

言い換えれば、文化祭開催委員に相応しいか否かの判断は、文化祭開催に賛成票を投じたか、否かではなく、文化祭開催委員の要件を満たすかどうかに限定して議論すべきということです。

ぶれない

高校生当時、私は彼の一連の行動を聞いて感動を覚えました。生徒会第一、学校第一という理念が全くぶれず、一貫していると感じられたからです。

自説に固執し状況が変わっても行動や判断を見直せない人が、しばしば「自分はぶれない」と豪語ごうごしているのを見かけますが、噴飯ふんぱんものです。己の小ささを自覚できていないと周知しているようなものだからです。

環境が変われば、判断は変わって然るべきで、判断が変われば、当然に行動も変わります。

彼が生徒会や学校にロイヤリティやアイデンティティを持ち続けたこと。臨機応変に方向転換し、柔軟にしかも精力的に行動を続けたことは見事だと思います。強い信念が窺われました。

※ アイキャッチ画像の学校は、文中に登場する高等学校とは関係ありません。