考えるきっかけが得られれば、至極まともな判断がくだせるのに、惰性的に物事を見ていると、思わぬ過ちを犯しがちです。
職業に対する差別はその典型の一つではないでしょうか。
他人を貶めた見方や不利益をもたらす考え方は、時に立ち止まって見直そうという心掛けが必要です。
本人には気付きにくいことですから、再考のきっかけが与えられたら素直に感謝し従うのが良識というものでしょう。
職業に貴賤なし
小学生の頃、職業には
職業に貴賤あり!?
ところが中学生になって、ある教師から
それは違う。
例えば、君は便の汲み取り作業のような仕事を好んでするのか。ちゃんと勉強しない奴らが、こういう仕事に就かざるを得なくなるのだ。
だからちゃんと勉強しなさい。
こう言われました。
そして、この発言に違和感を覚えながらも、当時の私は反論できませんでした。
役に立つ仕事である以上は蔑 んではならない
誰かの役に立つ仕事、誰かがやらなければいけない仕事、仮にそれが特段の能力資質を必要としないものであっても、誰かが埋めなければならない仕事であれば、価値があります。世の中には需要があるから供給があり、仕事があるということは、それを求める人がいるはずです。※
※ 厳密な話をすれば、需要があることで、必ずしも是認されるわけでは無いことは、後日、¶ 需要の創造は必ずしも正しくない|現代社会の病理の根源を探る の中で敷衍しています。しかしながら、必需のものは、需要の中でも別格で、必需は供給を是認すると言えるのです。
賤 しむ人こそ卑 しい
その仕事の助け(恩恵)を得ていながら、それを賤しむというのは人としていかがなものかと言うことです。
一般に尊いとされている職業、例えば医師や教師などが、一般に卑しい職業とされている人々より高貴なわけではありません。
賤しさは職業にあるのでは無く属人的要素
むしろ卑しさというのは職業によらず、どの職業にも卑しい人というのはいると思うのです。卑しいとされる職業に従事している人にも尊いとされている職業に従事している人と同様に立派な人、貴い人はいるものです。
貴賎はその人のもつ内なる心のものであり、従事している職業に属するものではないのです。
会社員新人1年生向けビジネス書などでは、上司に理想を求めないなどとあります。
上司であることそのものには尊さも賤しさも無い
それは暗黙の裡に「上司->地位が高い->身分が高い->優れる->人格的にも優れる」といった図式があるからではないでしょうか。組織で地位が高い人ほど、「地位が高い->身分が高い->優れる->人格的にも優れる」とされるのでしょう。
具体的な人物評価としては、誰々部長は駄目な部長とか個別に認識しているとは思うのですが、潜在的に支配している価値観、つまりは、何かを考えるための拠り所となる価値観は、先の図式の要素だと考えられます。
職業における貴賎と同様、組織内においても貴賎はないのです。そして職位は機能であって、その優劣、貴賎などを示すものではないのです。
心理的身分制度の撤廃
昨今、階層組織でなく、水平組織、フラットな組織が望まれるようになっているのは、職位ここでは即ち、機能が、貴賎、即ちここでは身分などと混用される傾向にあり、それが機能を妨げることも一因ではないでしょうか。心理的な意味での身分制度の撤廃なのです。
現代社会の厳しい競争に勝ち行くためには、持てる人材は、その能力を発揮できることが望まれます。発言や提案が