ブラック企業は必ずしもブラック企業ではない
ブラック企業大賞なるものがあるらしいのですが、そこでワタミフードサービス株式会社(以下ワタミ)が2013年の大賞に選ばれたといいます。一方、それに対する35歳の店長の反論が取り沙汰されました。
同じ企業に属していても、ブラック企業と感じる人と、ブラック企業と感じない人とが居るようです。
ブラック企業とは!?
そもそもの「ブラック企業」とはどのような意味なのでしょう。歴史的に2つの意味があります。ひとつは、昔から使われている意味で、「反社会的企業(暴力団系やそのフロント企業など)」。もうひとつは、現代的意味、つまり、これから話題する意味です。
現代的意味でのブラック企業
現代的意味を確認するため、知恵蔵2014を参照しますと、
労働者を酷使・選別し、使い捨てにする企業。「ブラック会社」ともいう。
度を超えた長時間労働やノルマを課し、耐え抜いた者だけを引き上げ、
落伍 者に対しては、業務とは無関係な研修やパワハラ、セクハラなどで肉体・精神を追い詰め、戦略的に「自主退職」へと追い込む。
とあり、説明は続きます。文中には明確な定義はない
ともありました。
実際に使われている文脈では、初めの一文「労働者を酷使・選別し、使い捨てにする企業」の意味から、過度に劣悪な労働環境を持ち、
現代的意味でのブラック企業の区別
現代的な意味で、ブラック企業と呼ばれている企業は、2種類あります。ひとつは明確な理念に基づいて進むが故に、厳しさが生じてしまっている種類のもの、もうひとつは、本当の意味での「ブラック企業」、つまり、労働者からの
後者は、社会悪であり、属していて、ブラックと感じない人がいるとすれば、おめでたい人、若しくは、洗脳されているといって良いような状況だと思います。このような企業は、「企業」と呼ぶことも
長い前置きが終わりました。ようやく本題に入ることができます。
感覚を分 かつのはやらされ感の有無
明確な理念に基づいて進むが故に、厳しさが生じているのが理由でブラック企業と呼ばれている企業であれば、ブラックと感じる人と感じない人が居るという現象が起こり得ます。
例えば仲間と創業することを想像してください。恐らく特に創業初期では、仕事に従事する時間は著しく長くなり、毎日が多用で、休みの日はないかもしれません。それでもやりがいを持って有意義に過ごすことができます。それは自分が創業メンバーであり、誰かにやらされているわけでもなく、自発的に、自律的に仕事に取り組んでいるからです。
それと同じことが、ブラック企業と呼ばれる企業の中でも起こっているということです。例えば冒頭のお話のワタミの店長も、店舗責任者ということで、誇りを持ち、楽しく自発的に、自律的に仕事に取り組んでいるのだと思います。
そして、更に彼の言によると、渡邉美樹氏を特別に崇拝しているわけではなく、その仕事の哲学を尊敬しているのです。洗脳されているわけではなく、自由な意志を持ち、
一方で、同じワタミの中でも、やらされ感で勤務している店長も居るでしょう。その場合は、同じ店長職であったとしても、例えば、ローテーションの谷間を埋めたり、急な欠勤などによるシフト穴埋めなどが負担に感じられるでしょう。また、長時間労働は耐え難いものとして認識されるのではないかと思います。
ここまでの話ですと、従業員の意識の問題で、やらされ感のある従業員に問題があると言いたいように理解されるかもしれません。そうではありません。お伝えしたい内容は、さらに根の深い部分です。
やらされ感の醸成
根の深い部分とは、「明確な理念に基づいて進むが故に、厳しさが生じてしまっているブラックと呼ばれる企業」では、実は、やらされ感を醸成してしまう要素があり、それが問題なのです。
それは、引き続きワタミを例に採ります。美樹さんを崇拝している社員はたくさんいて、ワタミでは彼らが主流派です。
とあります。
この意味するところは、ワタミの「365日24時間、死ぬまで働け」という言葉などを地で行ってしまう人々が多いわけで、それを望まない人にとっては、彼らの勤務そのものがプレッシャーになってきます。企業そのものよりも、同僚などからの見えない圧力があります。
ブラックと感じない人以外の人に、ブラックと感じさせる作用が働くということです。そのメカニズムは、個々の企業によって、様々だと思います。
「ブラック企業」は一様ではない
ブラック企業と呼ばれる企業も
しかしながら、企業一般がこのような意味でのブラック企業化していくこと好ましいことではありません。このような企業は、ブラック企業と感じさせるものがあり、労働者の受け皿としても好ましくない部分があるからです。