お金を払えば偉いのか!?基本無料のネットゲームは課金者だけが大切なわけでは無い

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ネットゲームで豹変

オンラインゲームで基本無料(アイテム課金)と表示されているものを見たことがある人は多いと思います。

ゲームを無料で始められ、必要に応じてゲーム内で必要なアイテムを購入するということで、ゲームにお金を投じることを課金と呼びます。

課金しないで遊び続ける人を無課金プレイヤーなどと呼びます。

ゲームに投じた金額の多寡が、必ずしもゲームへの寄与が高いわけでは無いのですが、勘違いしている人が多いようです。

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金銭以外の寄与

今回敢えてオンラインゲームの課金を採り上げるのは、¶ 経済至上主義は「お金に換えられないもの」を置き去りにする|本物の喪失 で敷衍した題材と共通するものがあるからです。

端的に言えば、課金額の多寡を以って、ゲームへの貢献度、謂わば、上客度が決まると妄信している嫌いについてです。

つまり、社会問題でもあろうネットゲーム中毒による過剰な課金の問題などについて包括的に論じたいわけでは無く、あくまでも課金額の多寡とゲームへの寄与度への認識について内容を絞ってお話したいということです。

お金を払えば偉いのか

商いの上で、課金額、つまりどれだけお金を落としてくれるかは、勿論、重要な要素です。

ネットゲームに限らず、例えば寿司屋であれば、週に一度、暖簾を下げるまで食べて飲んでくれる顧客は有難いことでしょう。仮にこの顧客を甲氏としましょう。

毎週昼食時に、にぎり一人前を食べに来てくれる顧客がいます。仮にの顧客を乙氏としましょう。

甲氏と乙氏のどちらが上客でしょうか。どちらがお店にとって有難い顧客でしょうか。

一概に、甲氏は乙氏よりも上客であると言うことにはならないということが今回お伝えしたいことです。

金額にはよらない

確かに甲氏は、店に支払っているお金の総額は大きいでしょう。

少し考えてみて欲しいのですが、顧客が期待されることは、お金を支払うことだけなのでしょうか。即答できないとしたら、¶ 一見さんお断りとラーメン二郎|お客様は神様では無い を一読いただきたいところです。

店も顧客を選ぶという話なのですが、その基準は支払額の多寡では無いのですね。

例えば、店に相応しい、その場に相応しい挙動がとれるということが最低条件です。

欲を言えば他の顧客に良い影響を与えることを求めたい。

言い換えれば、他の顧客の足が遠のく原因を作り出さないことは最低限で、寧ろ他の顧客に足を運びたくならせて欲しいと云うことです。

つまり、彼奴には遭いたくないから、行くのはやめておこうと思われるとすれば最悪で、あの方に会えるかもしれないから行こうと思われることが望ましいということです。

或る寿司屋で隣に座った女性が「ここは一人で来ても楽しく食事ができる」と言っていました。意味するところは、隣席には決まって、気さくで楽しい人が座り、歓談できるとの由です。その場に居合わせた私も嬉しく思った次第です。

逆に、連れの女性に能書きを垂れていた男性が居ました。好い恰好をしているつもりだったのでしょうが、終始耳障りでした。

板前さんも不快だったようで、その客が帰ると、「正しいことならいざ知らず、知ったかぶって誤った能書きを垂れているから、正してやろうかと思いましたよ」とのことでした。連れの女性にタイラガイをムール貝と教えていたのです。

普段はこんなことを言う板前さんではないのですが、居合わせた一同が共通して覚えていた不快感を察してのことでしょう。

要するに彼は招かれざる客だったというわけです。

近頃では、お金さえ有れば、どこへ行っても歓迎されると勘違いしている輩が増えているようですが、良質な店は客を選びます。

逆に顧客を選ばないと良質な店にはなり得ません。

そして支払額の多寡より大切なことは他にも有ります。

それは上客を紹介してくれることです。

上客の紹介は上客。

類は友を呼びますから、上客の紹介は上客であることが多いのです。

否、店に相応しくない客を紹介するような顧客は上客とは言えないのです。

店の雰囲気、場をぶち壊す顧客を紹介するようでは上客とは言えないのです。

こういうと至極上等なお店の話に思われるかもしれません。

もっと卑近な例をあげれば、友人が良い友人か否かを判別する際の基準の一つとして考えれば好いでしょう。

あなたにトラブルメーカーを紹介する友人は良い友人とは言えないでしょう。それと同じことです。

無課金者の重要性

さて掲題のオンラインゲーム(ネットゲーム)では如何でしょうか。

既にここまでの話で、課金額の多寡が全てでは無いと言った意味が少なからず想像できるのではないでしょうか。

それは他のプレイヤーへの影響が重要と言うことです。勿論、寿司屋の話と同様に新規プレイヤーを呼びこむことも重要でしょう。

迷惑行為

ゲームによっては課金することで、キャラクターやユニットなどと呼ばれる手駒を強くし、不当に他のプレイヤーを倒すプレイヤーが居ます。他のプレイヤーを倒すことをPK(ピーケー:プレイヤーキル)と呼びます。

ゲームによってはチャットで他のプレイヤーにとって不快な言葉を乱発します。

迷惑行為と呼ばれるもの一般が該当するのですが、課金額が高くとも上客とは言えません。他のプレイヤーが離れて行く原因を作り出すからです。

先の寿司屋で顧客離れを惹き起こす顧客同様に、そのゲームからプレイヤーが離れて行くことを促進するプレイヤーは如何に課金額が高くとも害悪と言えるのです。

分り易い例を挙げますと、対戦型やパーティ(チーム)編成をして取り組むゲームでは、対戦相手が十分に居なかったり、パーティ(チーム)に必要な人数が集まらなければ、ゲームが成り立ちません。

運営会社がゲームを基本無料で提供するのも裾野を拡げるためと言えるでしょう。お金も大切ですが、常時ログインしている頭数(人数)も極めて重要なはずなのです。

本末転倒

課金者、特に金額の多い者を重課金、常軌を逸した金額の者を廃課金と呼ぶようですが、課金額を背景に傲慢になるとすれば愚かと言うほかありません。

課金額をゲーム内資産の構築と表現すれば、その構築したゲーム内資産を無に帰する恐れを現実のものにする行動だからです。

プレイヤーが豊富に居ることがゲームの地盤を盤石にすると考えれば、無課金のプレイヤーや少額課金者が離反して行く環境※を作り出すことは、地盤を揺るがす行為と言えるからです。

※ ここで敢えて離反という言葉を選んだのは、時として中傷に及ぶからです。

極論すれば、ゲームが配信中止になって困るのは、ゲーム内資産の大きい課金者ではないか、それならば無課金者を大切にすることが、自分の利益に繋がるのではないかと言うことです。

課金額が多ければ多いほど、無課金者に気を遣い、ゲームの存続に貢献していくことが自利をもたらすというわけです。

理に適っていると思うのですが、如何でしょうか。