DeNAが運営しているWELQやMERYといったキュレーション※サイトを巡って
※ キュレーション:知恵蔵2015に拠りますと、IT用語としては、インターネット上の情報を収集しまとめること。または収集した情報を分類し、つなぎ合わせて新しい価値を持たせて共有することを言う
とあります。
DeNAは「アフィリエイター」の上を行く
騒動の原因は、コンテンツの信憑性に問題があることは
実際に、DeNA代表取締役社長兼CEOの守安功氏は、騒動の問題点は2つあるとし、
- コンテンツの信憑性
- 著作権侵害の疑い
1つめが医療・ヘルスケア情報の取り扱いに関して認識が甘かった点です。数カ月前から(WELQについて)医療関係者の監修がない状態で記事が公開されている事実を把握していました。当時、「後で監修をつければいいのではないか」と思っていたのですが、この認識が甘かったと思っています。
2つめはWELQに限らず、私たちが運営するその他のキュレーションメディアも含まれることなのですが、記事の作り方に問題があったと思っています。(一部省略)マニュアルや指示の内容、例示の仕方など記事を作る一連のプロセスがクリーンであったか、モラル的に問題がなかったかと考えると、決してそうではない。記事の作り方に問題があると感じました。
出典:TechCrunch Japan
以上のように認めています。
きちんと認めていて
ですから、
何をかいわんや
が
東証一部上場の事業会社では!?
東証一部上場企業でもあるDeNAが、事業として乗り出す時点で、キュレーションサイト制作に当たって、コンテンツの信憑性やコンテンツ作成過程の問題を認識していなかったことは考えにくい、というよりも
「認識が甘かった」
そこで、「認識が甘かった」という表現が出てくるのですが、この「認識が甘かった」という言葉は、DeNAが事業として乗り出すときに
「予め用意していた」が意味するところは、社内的に、いざ問題になったら、引っ込めれば良いということで、コンセンサスがあっただろうということです。仮にそれが明文化されていなかったとしても、暗黙の合意でもなければ、この規模の企業としては、事業としてスタートを切ることはできないでしょう。
それでは改めて、この「認識が甘かった」とはどういうことでしょうか。
「認識が甘かった」の意味
「知っていたやりました」の意味は、「お金が欲しかった」であり、叩かれたら引っ込めれば良いとして、叩かれるまでお金を稼いだということです。
荒稼ぎの魂胆
要するに、
かなり厳しい表現を採っているのは、ウェブコンテンツに留まらず、制作活動、創作活動の根本を揺るがす許しがたい行為だからです。
非道
¶ 集客偏重の執筆は控えよ!PVが惹き起こす言葉の暴力 の中でも
ところが、コンテンツの信憑性、信頼性を担保する必要がなければ、SEOだけに特化すれば良いということになります。極端なことを言えば、上位表示だけに特化したコンテンツ作りができるということです。
金儲けだけを考える
ウェブサイト運営で、お金をもたらすのは、トラフィック、つまりアクセス数です。他の条件が同じならば、アクセス数は大きければ大きいほどお金をもたらします。トラフィックをお金に変えることを
「後から監修」の奇
「後で監修をつければいいのではないか」が本音を窺わせます。
サイト運営者としては、免罪符を付けて、実際には免罪符は無いのですが、ウェブコンテンツを公開しさえすればコンテンツの用は足ります。それはコンテンツが公開されれば、トラフィックは得られるからです。
「後から監修」というインチキ免罪符は、良心の欠片もない金儲け主義のコンテンツ作成者にとっては、最高の建前です。コンテンツ作成に何の歯止めも無いことを意味するからです。
後から監修では、監修しないのと同じことになるのです。
しかも、WELQでは、健康や生命に関わる医療系コンテンツですから驚きです。抜かりなくコンテンツについての
創造的活動の愚弄
また、コンテンツの制作には時間もお金も労力も必要です。それを手っ取り早く、調達するのが剽窃・盗用であることは言うまでもないのですが、剽窃・盗用が横行すれば、まともに仕事をすることが馬鹿馬鹿しくなります。
今、ウェブコンテンツ制作者は、コンテンツの信頼性を確保するために制作には、当然に気を使いますが、コンテンツを盗まれないようにすることにも同じように気を使わなければならないという現実があります。
剽窃・盗用への備え
剽窃・盗用に備えている例を挙げます。
ウェブサイトを訪問した際に、マウスの右クリックで、文字列を選択できなかった経験があるのではないでしょうか。目視して、タイプアウトされれば、コンテンツは盗まれてしまいますが、安易な所謂コピペ(
アフィリエイトが一部の人々に嫌われている
「アフィリエイトサイト」
その結果、信憑性の乏しい似たようなコンテンツが乱立し、正しい情報が得られにくくなります。事実とは異なる内容が、あたかも事実であるかのように誤認されたり、事実の方が埋もれてしまう原因を作り出してしまうのです。
従って、「アフィリエイトサイト」が毛嫌いされることは故なきことではありません。
ところが、アフィリエイトを「アフィリエイトサイト」に限定して語ってしまうことは間違いなのです。
アフィリエイトのスキーム自体は悪くない
アフィリエイトというスキーム自体は、
新聞社や雑誌社などは、近頃はウェブ化の影響なのか、記事の品質に劣化傾向がある印象こそ受けますが、きちんとコンテンツを作成し、広告収入を得ています。例えば、¶ 日本経済新聞にも広告は掲載されています。こういった広告は本質的にアフィリエイト広告と呼ばれるものと同質のものです。
「アフィリエイトサイト」と分かつもの
日本経済新聞のウェブサイトの広告に不快感を抱かないのに、所謂アフィリエイトサイトの広告に不快感を抱くのは、コンテンツが原因です。
実際のところ、アフィリエイト広告が掲載されているウェブサイトでも、「アフィリエイトサイト」として認識されていないウェブサイトは無数にあります。
「アフィリエイトサイト」と一線を画する為には、コンテンツ制作に当たって、明確に
どこかで、アフィリエイト広告が主で、コンテンツが従になった時、「アフィリエイトサイト」に成り下がると考えています。このことは、決して、アフィリエイト広告に直接には関係の無いコンテンツも別途用意しているとかしていないとかいう意味ではありません。
ウェブサイトの存在そのものがアフィリエイトの為であれば、どう
欲に憑 りつかれれば知性は弛 む
意識的に「アフィリエイト」「アフィリエイター」と括弧で挟みました。一般に理解されているアフィリエイトを括弧つきで「アフィリエイト」として表現した形です。
謂わば、世間に流布している嫌な「アフィリエイトサイト」像を具現化し周知したのがDeNAと言って良いのではないでしょうか。DeNAは、正に「アフィリエイトサイト」作りを地で行ったのです。
欲に
この厚顔無恥こそが、アフィリエイトが嫌われる本質的な部分でしょう。
ウェブコンテンツの信頼性について改めて