忖度と慮り|ブラック企業を生かすな!

慮る

かつてに比べ、人を慮ることが減ったように感じます。

従来では、人をおもんばかることは、人として、つまり人間存在に付随する基礎的要素の一つとして習い性であるはずのものでした。

でした、ここで敢えて過去形を用いたことには意味があります。

現代では、人を慮ることが、既に人間存在に付随する基礎的要素では無くなって来ていることを指摘したいということです。

どういうことかと言いますと、人を慮ることが、旧来の意味を離れ、権力や利害関係を背景としたコンテクストで語られることが圧倒的に多くなったことを暗示しています。

その象徴的な言葉が「忖度そんたく」です。

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忖度と慮り

今回は特に「忖度そんたく」という言葉そのものの意味や歴史を問題としたいわけではありません。

2017年からの森友学園や加計学園に纏わる一連の問題で有名になった「忖度」という言葉が持たされた意味合いを手掛かりに話を進めようというものです。

従って、先ずは意味内容を確認しておきましょう。

  • 忖度とは、他人の心情を推し量ること、また、推し量って相手に配慮すること
  • 近年では上位者の意向を推し量る意味でしばしば用いられる

[wiki(抜粋)]

従って、相手の権力や利害、引いてはその便宜が自分に利益をもたらす、或いはそこまで積極的でないにしても、降りかかるであろう不利益を忌避できるという算段が支配している概念であると表現しても言い過ぎではないでしょう。

忖度そんたく」を「おもんばかり」とは似て非なる概念として対比して話を展開していくつもりです。

似て非なる二つの言葉

「忖度」も「慮り」も相手の立場で考える点では共通しています。ところが慮りでは謂わば相手の「存在」に関わるのに対し、忖度では相手に纏わる「利害」が対象ではないでしょうか。

言い換えると慮りでは、少なからず相手を大切に思う気持ちに重心がある一方で、忖度は利益を引き出すことに関心が集中します

原義とは異なるかもしれませんが、ここでは忖度と慮りを以上の通り位置付けておきます。

忖度

さて、本題ですが、功利主義的、経済至上主義的な価値観が支配的な社会では、慮りが影をひそめ、忖度が一般的になります。

語弊を恐れず表現すれば、何も利益がもたらされるかどうかも定かではないことに心を砕くより、便益が期待できるコンテクストで労を費やす方が効率的だと言うことです。

経済的な、或いは物質的な次元で見れば、権力のある者は、恒常的に忖度されるでしょう。

「この世をば 我が世とぞ思うふ・・・」と浮き世を満喫している気になることでしょう。一方で、権力の無い者は、自発的であれ、強いられてであれ、忖度することが期待されるでしょう。

忖度が慮りに比べて支配的になると、一見、権力者にとって都合良く見えます。一方で、権力の無い者は、忖度することを期待され、窮屈になるように見えます。

ところが、忖度を背景とした関係は、ここまでで見てきたように、単なる利害関係です。言い換えれば、利用し合う関係です。

権力の無い者は見返りがない相手には、忖度する必要がありませんし、影響力を失った者は黙殺されることになるでしょう。

利害で結びつけられた関係ですから当然です。

要するに忖度は、何らかの見返りを求めて行うことなので営利的です。見返りが期待できない相手なら、切って捨てられて当然なのです。

従って、本来ならば忖度する側は身軽のはずなのです。

慮り

ところが、往々にして権力保持者は、忖度を期待されている者に比べ先進的です。

忖度を期待されている者、権力の無い者、つまり忖度する側は、往々にして旧来型(従来型)の価値観に引き摺られています。つまり必要なところで忖度するのでは無く、必要の無いところで慮ってしまうのです。

要するに自分が利益を引き出すために忖度するのではなく、必要の無いところ、自分に不利益をもたらすところで慮り、利害ではない要素で自分を縛りつけてしまう。これではが悪くなります。

抽象的でピンと来ないでしょうか。

ブラック企業を生かすな!

事の本質の一つをまず指摘してから、具体例に入りましょう。

現状ですと多くの場合に、組織の階層で言えば、上層では忖度で動いているのにもかかわらず、下層では慮りで動いています。

言い換えると、上層では利害が付いてくるのに、下層では利害が付いてこない。言ってしまえば、経済合理性の上層部に対し、下層部では慮りにより、損ばかりが押し付けられると言う構造があります。

ますます分かりにくくなったでしょうか。

具体例を挙げてお話しましょう。

破綻している仕組み

典型はブラック企業です。当然に組織幹部らは忖度することで甘い汁を吸っています。

一方、慮って貧乏籤を引くのは決まって組織下層です。

かつて牛丼チェーンで交代が現れなかったために、アルバイトの身分で48時間ぶっ続けで勤務したという話がありました。※

※ ワンオペなどと云う言葉も有りました。店舗運営の仕組みそのものが破綻していたことは未だ記憶に新しいのではないでしょうか。(¶ すき家が値上げ|不当な廉売が引き起こす害悪

本来、交代の人員が現れないからと言って継続勤務する義務はありませんし、義理も無いはずです。

語弊を恐れず表現すれば、アルバイトはみずから勝手に勤務継続したわけです。つまり自らが勝手に慮って勤務継続を選びました。

「勝手に慮って」という言葉を聞いた反応は人によってまちまちになるところでしょう。

では一体どうすれば好いんだ。

そう鼻白むかもしれません。

馬鹿げた対応ではあるものの、そうせざるを得ない事情にあったというわけです。

果たして本当にそうせざるを得ない状況だったのでしょうか。

馬鹿げた対応だと認めるならば、どうすることが馬鹿げた対応で無いのか、更に言えば、どう行動することが妥当であったのか考えてみましょう。

慮らないという選択

 

どうすれば好いのか。

答えは簡単です。慮ったりせず、そもそもの約束(雇用契約)に則って、自身の利害に忠実に行動することです。

では実際にはどうすれば好かったのでしょうか。

道理

先ずは本部なのか、店長なのか、支配人なのか定かではありませんが、該当する責任者を探り当て、店舗の責任者に交代要員が現れないことを報告します。

契約に従った自身の退勤予定時刻、退勤時に取るべき応急処置などを確認します。

きちんとした指示が得られれば、その指示に従えば好いだけのことです。

ところで緊急対応です。きちんとした指示が得られない場合も少なく無いでしょう。

容易に想像できるのは、店を閉められては困るや退勤しないで勤務を継続してくれと云った慮りを迫る言葉の応酬です。

ここで情に流されて慮ったりしてはいけないということです。

自分は利害で動いているくせに、あなたにはあなたが損をする慮りを要求しているからです。

交代要員が現れないといった不測の事態の対応を一介のアルバイトが負うには大き過ぎます。

そもそもアルバイトである以上、主たる何かが他に有って然るべきです。例えば学生なら学業です。もっとも、何も無くても慮る道理はありません。

きちんとした指示が得られないのなら、例えば退社時に行うつもりのあることを具体的に伝えておきます。緊急事態なので免責の為にも、説明責任は果たしておく必要はあるでしょう。後味の悪い思いをしないためにも、できる限りの、といっても慮るという意味では決してありません。

具体的には、例えば勤務時間終了に店を閉められるように新規顧客に入店制限をすること、店内の顧客には勤務時間終了前に帰ってもらうことなどです。

そして火の元の確認や戸締りなど退勤前にしておくべきことを確認しておくと好いでしょう。

ここで慮りの他、忖度する要素も皆無であることを理解しておくことです。見返りが無いだけでなく、義理も無いということです。

今回の例では、一人での勤務なので、同僚の干渉がありませんが、得てして同僚は自分たちの利害を侵害する行動を取りたがります。

注意すべきは愚かな同僚

ついでですので、同僚が如何に足を引っ張るかについて理解しておきましょう。

しばしば用いられる成句に「社会人として」、「大人として」が挙げられます。これらを盾に慮りを強要する※のですが、ブラック企業で慮るということは盗人に追い銭であることが分かっていないのです。日本人は特にこの手の圧力に弱いので注意が必要です。

※ この手のやから、輩とは言いましたが、勿論女性であることも少なく無いのですが、自意識が高い割には視野が狭く社会を知らない場合が多いようです。従って、知的にも十分に成熟していない場合が殆どで、議論はかみ合わないというよりも全く議論にならないことが多いでしょう。理に訴え、説得しようとしても徒労に終わるのが関の山なので相手をしないのが一番でしょう。多くの場合、感情的且つ高圧的に迫ってくるので不快な思いをすることが多いのです。

そのからくりが垣間見える記事を紹介しておきます。¶ 感情があなたの利益を遠ざける

一方でアルバイトの立場では無く、あなたが上層部の一員なら話は変ってきます。

忖度の余地

そこには忖度の余地があるということです。

この場面で交代要員を手配、或いは自身が穴埋めを買って出て、店の信用を守ります。そして後日、店舗運営に於ける問題をきちんと課題として設定し解決を図るとすれば、実績を作ることができ見返りも期待できるでしょう。

本来自分が携わる必然性の無い仕事であったとしても、忖度することで十分な見返りが期待できるのです。

美徳としての慮り

人をおもんばかることは美徳の一つです。

ところが、ここで見た具体例では人を慮らない方が好いと言っているかのように受け取られるかもしれません。

人を慮るということは、基本は相互扶助です。

その基本から外れている場合には、食い物にされるだけだと云うことです。

一方で、慮ってくれるから慮るというのも正しくないでしょう。

これでは卵が先か鶏が先かの話になってしまいます。

従って、基本的には人を慮る精神を持つ。但し、相手に自分が食い物にされるような状況では、敢えて慮ることは避ける。

これが正しい基本姿勢と云えるでしょう。

人の慮る性質を悪用するブラック企業

ブラック企業を例として挙げたわけですが、ブラック企業は人が慮るという性質を悪用する企業群と言えそうです。

人が慮る性質を利用することで、無償で経営資源を手に入れようとするブラック企業は、反社会的な存在であると言っても過言ではありません。

必要な人材が集まらないのは雇用条件に問題があるわけで、適切な雇用条件を整えれば人は集まるはずです。

そして、ここから先のことは従業員が慮ったり、忖度したりする話ではありません。

ブラック企業で慮ってはならないのです。

可及的速やかな脱出を!


今回は、残念ながら言及するつもりだった題材のほんの一部に留まりました。

それらについては、またの機会に譲ることにいたします。

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