ホリエモンの「寿司職人が何年も修行するのはバカ」の真意と新しい修行環境

スポンサーリンク
自家製江戸前小肌握り寿司
スポンサーリンク

堀江貴文ほりえたかふみ氏のツイートの真意

寿司職人が何年も修行するのはバカ

ホリエモンこと堀江貴文氏の寿司職人修行を巡るツイッター発言が物議をかもしているようです。

ライブドア事件のことは別にしても、堀江貴文氏の著書「我が闘争」という題名を採って見ても感心しない側面はあります。

念のために説明しておきますと、「我が闘争」と云えば、アドルフ・ヒトラーの著書を彷彿ほうふつとさせます。

ドイツではアドルフという名の子供が大戦後、いなくなったと言われるのを聞いたことがあります。それだけ忌み嫌われている人物による著書です。

本の題の命名に何らかの意図が有ったにせよ、読んでいない人、或は仮に独訳が出版されることにでもなれば、正に同名のMein Kampfとなってしまうでしょうから、感心しないのです。

一方で、単なる暴言として終わらせてしまうことは早計でしょう。

ツイートには意図がある

知る限り、感心しない部分を割り引いても、堀江貴文氏は十分に理知的な人であり、何らかの意図を持ってツイートしたと考えても可笑しくないからです。

事実、記事にもなり、修行期間の長さやその実情などが取り沙汰されています。そしてこの記事を書くきっかけにもなりました。

職人の技術、所謂職人技が失われている現状を嘆いていた者としては、一般に関心を寄せられることは喜ばしいことですし、これを機に事態が変わっていくことも期待できます。

堀江貴文氏の意図は、議論を巻き起こすことが目的だったのかもしれませんし、もしかしたら堀江貴文氏は、今後、追って何らかの私見を述べるのかもしれません。

コピーライティング

こうして見てくると、

寿司職人が何年も修行するのはバカ

とツイートしたのは、コピーライティングの手法を採っただけかもしれないのです。

コピーライティングとは、キャッチコピーのことではありません。

商品・サービスと人との間に新たな関係性を築くことです。

つまり、ここでは、寿司修行と一般の人々との間に新しい関係性を築くことの意味です。

一般に関心を持たれ、議論を惹き起こさなければツイートは流れて行ってしまいます。

仮に

寿司職人の修行期間は一般に長すぎる

とツイートしたら、どうだったでしょうか。

これではツイートとしては陳腐なので、これ程までには反応は起こらず、単に「同感です」とか、「あれはあれで合理的なのです」など、肯定的意見や反論がただツイートされるだけでしょう。

恐らくは記事にまでならないことでしょう。

ホリエモン発言は実は寿司修行への援護射撃

こう考えると、実は寿司職人を馬鹿にしたわけではないことが分ります。

親方と弟子の思惑

寿司修行をしている人、これから寿司職人を志す人への待遇改善の声であると見ることができるからです。

寿司に限らず、修行に入る人の多くは、独立して店を構えたい人が多いことでしょう。

店側(親方)として見れば、仕事を覚えれば、弟子が店を辞めてしまう懸念があるのは当然のことです。

弟子が辞めてしまえば、人手が減りますし、飲食店は学校ではないですから、教えることだけに専心することはできません。

技を小出しにしか教えないのはある程度止むを得ない部分は有ります。

時代感覚

一方で、現代の感覚では寿司職人の修行に

飯炊き3年、握り8年

の11年間も掛かるのではあまりに長いと感じるのが大勢たいせいではないでしょうか。

そこに一石を投じることが堀江貴文氏の意図ではないでしょうか。

修行の新しい形

寿司ではありませんが、或る有名ラーメン店の修行では、入店したい弟子候補に店主は、

ラーメンの味は、半年も有れば覚えられるだろう。

それでも味だけで店を経営出来るわけではない。

直ぐに出せば、きっと店を潰してしまうよ。

客あしらいなど、御礼奉公も兼ねて3年は働いて勉強していきなさい。

こう話して、3年間働くことを約束させるそうです。

寿司の場合、習得に何年かかり、御礼奉公が何年が妥当になるのかは分りませんが、信頼関係を基に、もっと明確な約束事で弟子入りを考えた方が良い時代だと思います。

悪いようにはしない

かつてのように、「悪いようにはしない」という言葉が信じられる時代では無くなってきているからです。

師弟関係の昔と今

かなり古いですが、NHKのテレビドラマで、寿司職人のドラマ「イキのいい奴」というのが有りました。

印象的な場面が記憶に残っています。弟子に店を持たせるために小林薫演じる親方は密かにお金を貯め、長く勤めた弟子を送り出し、店を持たせてやるというところです。

自分のところに弟子入りしたということに、重きを置きます。悪いようにはしないとは、出来得る限りの便宜は図るという意味でもあったのではないでしょうか。

相互の信頼関係から、弟子は辛く当たられても堪えることができ、親方は愛情が有るからこそ弟子に厳しくも当たるというのが師弟関係だったことでしょう。

新しい修行環境の創出は急務

人間関係や信頼関係が希薄になり、師弟関係も同様にかつてのように強い絆で無くなった現在、新しい修行環境が求められるのではないでしょうか。

職人技術をきちんと伝承する仕組み作りは急務です。


追記 平成29年10月17日

別件でのツイートですが、上記の推察を裏付けるような発言がありました。

わざわざ気に触ることを言って炎上させる必要もないでしょう。を受けて、