なりたいのは肌・髪・カラダが美しい人。
違和感を覚えた時、その原因を探る・・・常日頃から心掛けています。
都内の電車の中で、
違和感を覚えるキャッチコピー
なりたいのは肌・髪・カラダが美しい人。
どうも違和感を覚える表現だと感じその理由を考えてみました。
違和感を覚える理由
「なりたいのは○○な人」や「○○な人になりたい」という表現を採った場合、様々な価値観の中でより上位にある内容を持ってくるのが一般的であろうというのがその理由です。
つまり、このキャッチコピーを作成したライターや想定されている読者にとって、肌・髪・カラダが美しいということが価値の最上位、最高位にあるかのように暗示しているように感じられるのです。
単刀直入に言えば、心に象徴されるような
勿論、女性にとって、肌・髪・カラダが美しいことは高い価値を持つことであり、興味を引く内容であることは理解しているのですが、恐らくかつてならば異なった表現が採られたであろうと感じるのです。
要するに、社会が即物的な価値観になっていることを反映していると受け取られるということです。
違和感を覚えない表現
仮に
肌・髪・カラダが美しくなりたい。
であったとしましょう。
これならば、心などの問題は別段に想起されず、単に、肌・髪・カラダがどうありたいかの願望を表現していると受け取られます。つまりその他のもの、先に触れた「心」などとの価値に於ける比較には言及も暗示もしていないと受け取られるのです。
また、先程の表現を前後を逆にして、
肌・髪・カラダが美しい人になりたい。
であれば、同様でしょう。ただ、「肌・髪・カラダが美しくなりたい」に比べると、○○な人とある分、多少の違和感が無くもありません。
結局のところ、「なりたいのは○○な人」という表現をとることで、人としての価値の優先順位を○○という形で選択している印象を受けることが違和感の原因なのです。
価値の優先順位を選択していると云うと言い過ぎの嫌いが有るかもしれません。肌・髪・カラダに意識が行った時、心などの存在が、すっぽりと抜け落ちて、意識されていなかったというのが真相のような気もします。
いずれにせよ、世相を反映したキャッチコピーだと得心が行ったのですが、このキャッチコピーの発案者や編集者が、どこまで意図して表現したのかは定かではありません。
コピーライティングの観点、コピーライターの着想からすれば、敢えて違和感を持たせる表現を採るのも作戦の内ですから、様々な背景が想定できるのです。
違和感を覚えた時が好機
頭を良くするには頭をよく使うこと。常日頃の
至る所に転がっている思考訓練の材料
学生時代に担任の教授がこんな話をしてくれました。入学時のオリエンテーションだったと記憶しています。
訓練はどこでもできると言われたので、質問し具体的内容を挙げてもらいました。
例えば通学時の電車の中などでは、乗客の一人の出身地を推理することができるとのことでした。
持ち物や言葉遣いなど、時々刻々と変化し、入手される情報などから、どこから来た人で何をしに来たかなど推理して行くというものです。
最終的に答え合わせをする訳ではありません。材料に基づいて推論していくことに価値があるというのです。
元々、内省的で常日頃から思考していたものですから、我が意を得たりと云った感じで、それ以降も思考の訓練は継続しています。
マキアの吊り広告もその一例です。
習慣は第二の天性
疑問に感じたら、放置しない。何らかの仮説を立ててみる。
こういった訓練を続けていると、推論自体が習い性になり、より推論に強くなっていきます。
引いては思考能力が高まり、課題解決などにも役立って来るのです。