悪意よりも救いようのない「気付きませんでした」

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「気付きませんでした」
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気付かなかったでは済まされない

気付きませんでした。

これを一種の免罪符と勘違いしている向きもあるようです。

言われてみればもっともだと思われるけれども、事が起こっている最中には気付かなかった。だから仕方が無いのだと。

果たして実際に気付かなかったら、仕方が無いのでしょうか。

気付かないという異常

気付かないことが異常なことだとしたらどうでしょうか。

常日頃、気遣いの出来る人は、気遣いが習い性になり、些細ささいなことでも気付くことができます。そしてどんどん気付きの範囲が広がって行きます。敏感になるのです。

ところが一方で、人のことなどどうでも構わぬという態度で生活していれば、日に日に鈍感になって行きます。日に日に鈍感になって行った人は、気付く範囲も狭くなり、範囲内でも気付かぬことが多くなって行きます。

一般に気付くのが当たり前と思われるようなことでさえも、気付かなくなっていきます。気付きの能力が退化し、気付かれる水準が下がって行くのです。

育ち

それが嵩じると、育ちが悪いと言われます。育ちとは、日々の生活の積み重ねでつちかわれるものです。

気付かなかったで許して良いものか

果たして、「気付きませんでした」を免罪符にして良いものでしょうか。

気付かない背景には、単に過失に因るものと、その人の持つ生活習慣から来るものがあると考えられるでしょう。

義憤

過失に因る気付きませんでしたは、許せるだけ人として寛大でありたいものですが、生活習慣に由来する気付かないにはいかりを感じて良いのではないでしょうか。否、怒りを感じるべきではないでしょうか。所謂、義憤です。

抽象的な話では分かりにくいので、具体的な気付かない罪を例示いたしましょう。

気付かなかった、気付いていないが大罪の具体例

或る職場でのお話しです。

好い加減な出勤時間

パートタイマーは6時15分からのシフト勤務です。几帳面な性格で、いつも6時前には到着し待機していました。鍵を持った正社員は6時には到着するものと思っていました。

正社員は開錠がある為、パートタイマーより先に到着するものと思っていたようなのですが、6時15分を過ぎても正社員が現れないことがしばしばありました。たまたま鍵を預かっている出入り業者が到着し、開錠され職場に入るということもしばしばありました。パートタイマーはこの職場に対し、かなり好い加減だという印象を持っていたようです。

被害者

それからしばらく後、契約社員が入ってきました。契約社員は6時に出社するように言われていたようです。パートタイマーは6時15分の出社。

契約社員もパートタイマーも鍵は預かっていませんでしたから、パートタイマーは正社員は当然に6時前には現れると思っていたようです。

ところが、6時以前に開錠されたことが、有っただろうか・・・といった状況だったと言います。

きちんとした契約社員

契約社員は2名いて、二人とも6時前には到着していました。それでも正社員は6時には現れなかったそうです。

6時に来るように指示しておきながら、6時に現れない正社員。

契約社員は、自分たちのことをないがしろにされている、あなどられていると感じることでしょう。これが一般的な感覚です。

理解不能な正社員

パートタイマーは、遅刻してだらしない正社員だと思っていたと言います。怠慢でルーズな正社員と理解していました。

ところが、或ることを切っ掛けに、更に驚くべきことが判ります。

正社員は何人かいるのですが、その一人が驚くべきことを口にしたのです。

○○さんが、遅刻にならないように鍵を開ければよいと言われています。

要するにパートタイマーの○○さんのタイムカードが定刻に間に合うように切られれば良いと、責任者に言われれているとの由です。

因みに、正社員も契約社員も、出勤時間に決まりは無く、職場が回ればそれで良いという会社のようです。

厚顔無恥

これにはパートタイマーも驚きを禁じ得ませんでした。6時に来るように言われている契約社員2名は毎朝、6時前に来て待機しているというのに、6時15分に間に合うように鍵を開ければよいという認識を持っている正社員。これを指示したのが職場の責任者というから驚きです。

前言の通り「○○さんが、遅刻にならないように鍵を開ければよいと言われています」と言ってはばからない正社員。

契約社員は6時出社の指示を受けていて、毎朝6時前に来て待機している一方で、正社員は、6時以降にのうのうと現れる。

正社員は、この事実に何らの違和感も覚えないのです。これこそ「気付かない罪」である好例と言えましょう。

余談ですが、契約社員2名は、入社後2か月で同時に退社したそうです。

救いようのない「気付きませんでした」

悪意を持って6時過ぎに来ているのならば、未だ救いがあります。なぜならば、心得違いを正してやれば、きちんとした行動に戻せるすべがあるからです。ところが気付かないとすれば、一つ一つの行動を、対処療法的にただすことになります。

気付きの感性を身に付けさせることが、成人、否、責任者や役職者になるような年代で可能でしょうか。教育の難しさを知る身としては、絶望的な気持ちになります。

僭越ながら、これまで年少者などには、言葉で説明し、或は行動を以て、背中を見せて教えて来たつもりですが、気付きの感性の無い人は、それすらも気付いてくれませんから、如何ともし難いのです。

悪意を持って臨む人には、心得違いを正してやれば、芋づる式に行動は正せます。勿論、簡単なことではありませんが。

一方で、気付かない人は、感性そのものをつちかう、或は作り上げなければなりませんから、根は非常に深いのです。

題名の「悪意よりも救いようのない『気付きませんでした』」の趣旨はご理解いただけたでしょうか。

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